あび卯月☆ぶろぐ

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2006年国内十大ニュース

2006-12-31 23:25:40 | 社会・世相
今年一年の締めくくりということで、讀賣新聞の読者が選んだ国内の十大ニュースについて、去年もやったように感想を述べたいと思います。


▼10位 福岡市職員の飲酒事故で3児死亡、自治体で飲酒運転への懲戒免職広がる

飲酒運転による死亡事故が多発したから、飲酒運転が途端に重罪の如くなった。
マスコミや世間が騒いだからそうなっただけで、国民が主体的に飲酒運転が悪だと気づいたわけではない。
その証拠に、飲酒運転撲滅の特輯を担当していた朝日新聞の記者が飲酒運転で捕まるという珍事が発生した。
飲酒運転が悪だと音頭をとっている当人でさえこれなのだから他は察して知るべしである。


▼9位 秋田の小1男児が殺害され発見、子供が犠牲の犯罪相次ぐ

子供が加害者になるのが流行りなら被害者になるのも流行りということか。
秋田の事件も考えてみればワイドショーが騒ぎやすいネタだったから騒いだのであって、親が子を殺す事件に限らず、これより悲惨な事件は相次いでいる。
秋田の事件ばかりを騒ぐのはマスコミばかりが悪いのではなく、それを欲する受け手が居るからだ。


▼8位 日本ハム、44年ぶり日本一

日本ハムファンの皆様おめでとうございます。
私の知っている日本ハムファンの芸能人といえば伊集院光だけれど、
伊集院さんは素直に喜ぶのではなくなんだか複雑な気持ちだと語っていた。
その気持ちなんだかわかる気がする。
自分だけが応援していると思っていたものが優勝したら自分だけのものではなくなる気がしたのだろう。
こういう感じ方が出来る伊集院さんが私は好きだ。


▼7位 福岡で中2が遺書残し自殺、「いじめ苦」自殺相次ぐ

いじめと一口にいっても様々なケースがあり、一括りに論じることは出来ない。
しかし、いじめというより悪質な暴行、窃盗などのケースは加害者を学校だけでなく警察を含めきちんと制裁できるような仕組みが作りが必要だと思う。
(学校に公権力を介入させるわけにはゆかないと云うのであれば学校できちんと対処しろ。それが出来ずに公権力云々と云うな。)
ところで、いじめ自殺は途中からブームになった感が否めない。
日本人はまことに流行りものが好きな民族である。


▼6位 ライブドア事件で堀江貴文社長ら逮捕

経営の神様・松下幸之助は嘗て、「良い経営は社会に貢献し、悪い経営は社会に害悪をもたらす」と云った。
堀江某の経営がどちらに属すか、私が云うに及ばない。


▼5位 夏の甲子園決勝、37年ぶり引き分け再試合で早実が初優勝

私はふつう野球を観ない。したがって、甲子園も観なかった。
観なかった者がとやかく感想を述べることは他人の畑を荒らすことになるので何も云わない。


▼4位 安倍内閣が発足

安倍内閣の誕生は安産だったけれども、生れた途端、保育器に入れられたようだ。
村山談話と河野談話を踏襲した安倍内閣に果たして存在意義はあるのだろうか。
閣僚の不祥事も止まらない。
安倍総理は森派の呪縛から解き放たれることはないだろう。
森喜朗にとって安倍晋三は赤子の如くである。
麻生太郎はすでに次期内閣の準備を進めている。
今度の参院選が楽しみだ。


▼3位 WBC、王ジャパンが初代王者

普段、野球を観ない者でも感動するものがあった。
オリンピックやワールドカップなど国を挙げてのイベントにほとんど興味の無い私もWBCは興味を持って試合の結果が気になった。
それもこれも、あの審判の誤審が原因だろう。
果たして、あの誤審がなければ日本が優勝したかも定かではない。
審判ありがとう(笑)


▼2位 トリノ五輪、フィギュア荒川静香選手が「金」

これのせいでフィギアの番組が増えて困っている。
などと書いたら、石を投げられるだろうか。
ところで、浅田真央が安倍晋三に似ていると思っているのは私だけではないはずだ。


▼1位 紀子さまが男子ご出産

讀賣読者が選んだ一位は悠仁様の御誕生でした。
私も今年の国内ニュースで一番嬉しかった。
未来の天皇・悠仁様の御将来が今から楽しみ。
今の皇太子殿下が御誕生したときも時の国民もこんな気持ちだったのだろうか。

ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展

2006-12-31 04:18:18 | 音楽・藝術
気づいたら大晦日だった。
私は普段生活していて、ほとんど毎日、記事に書こうと思うことがある。
が、実際に記事にするのはその半分の半分もない。
私は記事を書くのに思いの外時間が掛かる。
それゆえ、毎日記事を書くのはなかなか難しい。
単に私が怠惰だからとも云える。
ブログの記事になるような話題は殆どがナマモノで、時間が経てば書くに及ばない内容になるので、そのままお蔵入りになる。

しかし、今年の内に是非書いておきたいことがあったので書く。


十一月の下旬頃、妹が大学の美術部の友人に「好きだろうから」と、あるポスター展のチラシを渡された。
果たして、そのポスター展は妹が大好きな内容だった。
そのポスター展の名称は「ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展」。
寺山修司生誕七十年記念として横尾忠則をはじめ、宇野亜喜良、赤瀬川源平、林静一、花輪和一、粟津潔、篠原勝之、合田佐和子、戸田ツトム、他が手がけたアングラ演劇のポスターを100点以上展示されたポスター展だった。
無論、私も興味が無いはずなく、妹と共に勇んで展示会が開催されていた天神のイムズに向かった。

そこで観たポスターの美しさはなんとも形容しがたい。
私の貧弱な語彙を以ってその美しさを表すのは不可能に近い。
本来、これらのポスターはアングラ劇の公演告知の為のものであるが、
それらはポスターの粋を超え、もはや藝術作品としか呼べないもので、
じじつ、これらのポスターは美術的評価も大変高いのだという。
そういえば、美術の教科書によっては横尾忠則さんの作品が掲載されている。
しかし、世間一般の評価や専門家の評価などはどうでも良い。
私はそこで確実に美しいものに出逢った。
それだけは確かな答えだ。

私はこの1960年代から70年代にかけてのアングラ界の藝術作品が好きでたまらない。
またあび卯月お得意の懐古趣味が始まったと言われるかもしれないが、あの頃の日本は本当に熱かった。
今、当時作られたような藝術作品を目にする機会はない。
似た物はあっても到底本物には及ばない。
しかし、それは仕方の無いことだと思っている。
日本人が悪くなったから今の藝術作品はツマラナイのだと言う積もりは無い。
今は今の時代にあった良い物がありましょう。
つまり、あの時代の藝術作品はあの時代が生み出したものであり、あの時代の空気を吸って生きていた物なのだ。
だから、今の時代にあの頃と同じような藝術作品を生み出すことを試みても無理なのである。
そして、今の時代では生み出せないからこそ餘計に儚く美しく感じるのだと思っている。
少なくとも私がそう感じるのは以上のような理由からだろう。

今、横尾忠則さんの画集を探しているが良い物はほとんど絶版になっている。
中古で買おうと思っても十倍以上の値がついているものもあった。
私には到底手が出せない値段がついている。
私が欲するものは大抵なかなか手に入りにくいものばかりでいつも歯痒い思いをしているが、今回も例外ではないようだ。
いつか復刻乃至はもっと良い内容の画集が出ることを祈り、その日が来るまで待とう。
信じていればきっとその日はやってくるだろう。
そう、「つげ義春初期傑作集」が刊行された時のように。



*附記*

この記事に掲げている画像は横尾忠則さんのポスター。
ネット上で随分探したがこのサイズのものしか手に入らなかった。
嘆いていると、下記のサイトを発見。
横尾さん以外にも多くのアングラポスターを観ることが出来る。
なんと、素晴らしいサイトだろう。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/tenji/tenji.html