あび卯月☆ぶろぐ

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映画『バルトの楽園』

2006-06-25 23:59:04 | 映画・ドラマ
昨日、『バルトの楽園』(楽園の読みは「がくえん」)を観てきました。

公式サイトより内容紹介。

1914年、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。ドイツ兵4700人は捕虜として送還され、日本各地にある収容所に収められる事となる。
 厳しい待遇が当然な収容所の中で、奇跡の様な収容所が徳島にあった。板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、捕虜達の人権を遵守し、寛容な待遇をさせた。捕虜達は、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、さらにはビールを飲む事さえ許された。また、言語・習慣・文化の異なる地域住民の暖かさに触れ、収容所生活の中で、生きる喜びをみいだして行く。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。



ドイツ人俘虜を敵としてではなく祖国の為に戦った戦士としてあつかう松江所長の武士道精神に心打たれました。
武士道というとなにやら勇ましいイメージがありますが、
こういう惻隠の情もまた武士道なんですね。

特に松江豊寿さんの場合、会津出身ということで、俘虜の気持ちを良く理解していたのでしょう。

会津出身の松江豊寿さんは戊辰戦争敗戦後、青森県下北半島の不毛の地・斗南藩に移住させられ困窮した生活を強いられました。
そして、その後長い間、会津の人々は賊軍の汚名を着せられ辛酸を嘗めてきたのでした。
会津の方々の心情を慮ると涙を禁じえませんでした。
しかし、松江さんは言います。

「我々を支えていたのは憎しみではない。復讐心でもない。それはただ一つ、会津人としての誇りでした。」

なんとも感動的な言葉でありました。
憎しみが新たなる憎しみを生むなどといわれる殺伐とした現代こそ、この言葉を噛みしめる必要がありましょう。

また、ドイツ軍人俘虜を「ドイツさん」と言って温かく迎え入れる板東の住人。
俘虜たちもそんな住人と温かく交流してゆきます。
はじめはお互い敵とみなし心を閉ざしていた人も次第に心を開いてゆく。
陸軍省から「捕虜に甘い」と指摘されても自分の信念を貫く松江所長。
そして、クライマックスの第九・・・などなど。
感動的な見どころ満載の映画でありました。

しかも、これは細かいエピソードはフィクションにしても、
史実をもとに作られた映画ですから、
猶のこと心に響くものがあります。

日本の歴史教科書がツマラナイのはこういう話が載っていないからでしょうね。
いや、むしろ、教科書はつまらなくていいんです。
本当に面白く感動的な歴史は概してこのような教科書に載らない歴史なのです。


『バルトの楽園』公式サイト
http://www.bart-movie.jp/

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-07-16 07:40:08
福島生まれのファランクスが来ましたよー。                   初めまして、ですね。普段はミヨポンさんの所にいるしがない男です(笑)                戌辰戦争については(兄が会津で働いていたため)色んなエピソ\ードがありますが、年長者に「長州・薩摩憎し」の感情がある、と聞いてびっくりしたことがあります。
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Unknown (あび卯月)
2006-07-16 12:46:45
初めまして(´∀`*)



ファランクスさんは福島の方ですか。

でしたら、「バルトの楽園」は他県の方よりも違った意味の感動を覚えられるかもしれません。



>戌辰戦争については(兄が会津で働いていたため)色んなエピソードがありますが、年長者に「長州・薩摩憎し」の感情がある、と聞いてびっくりしたことがあります。



今でもそういう感情は根強いようですね。

若い人の間ではあまり無いのかも知れませんが。
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