先月、『サッドヴァケイション』という映画を観た。
感想を書こう書こうと思って書かずじまい。
いつもの悪い癖だ。
本作は「北九州サーガ」三部作の完結篇。
今回は一部主演が浅野忠信であるということがこの映画の性質を如実にあらわしている。
はっきり云ってサブカル映画だし、決してエンタメ映画ではない。
舞台は北九州市の戸畑か若松あたり。
当然ながら、みな北九州弁でそれがやけに可笑しかった。
映画を見終えて知ったのだが、この映画のテーマの一つに「母の愛」があるという。
驚いた、私は本篇を見て母の愛を感じ取ることができなかった。
私には健次(浅野忠信)の母である千代子(石田ゆり)は優しき母というより悪女に見えた。
健次は前の夫との間に出来た子で、現在の夫との間に出来た子に勇介がいる。
勇介は不良息子で家業の運送屋を継いでくれそうにない。
そこで、十数年ぶりに再開した健次に運送屋を継がせようとする。
が、健次は幼い頃、別に好きな男が出来たからといって自分と自分の父を捨てた千代子を恨んでおり、家を継ぐどころか母に対して復讐を企てている。
この復讐の内容がどんなものであるかは本作を見ていただくとして、千代子は本当に健次を愛しているのだろうか。
仮に健次に対する愛は本物だとして、もう一人の息子、勇介に対してはどうか。
千代子は勇介を出来が悪いからといって見捨てるのである。
そして、勇介が駄目なら健次に家を継いでもらえばよいとばかりに健次を温かく包み込む。
ここにどうも利害の感情が見え隠れしてならない。
さらに、かつて自分が息子(健次)と夫を見捨てたことに寸毫の自責の念も抱いていない風で、健次の怒りをいま一つ理解していない。
それゆえ、明らかに敵意を持っている健次に対して常に笑顔をもって接するのである。
マッチが歌っていた「天使のような悪魔の笑顔」を髣髴とさせる。
なにやら、ここに愛の恐ろしさを感じた。
ここでの恐ろしさは愛ゆえに相手の気持ちを忖度しない姿勢であるが、
もっといえば、愛には常に二面性があるように思う。
つまり、愛を施す当事者からみれば愛は至上のもので素晴らしいものであると思っているが、愛される側、または第三者からみてそれが素晴らしいものであるという確証はない、ということである。
・・・以上はあくまでもこの映画を見る際のほんの一つの視点。
これだけでなく、様々な要素が含まれており、見る人によって感じ方が違うと思う。
私自身もいろいろなことを考えさせられた。(説教臭い文脈ではなく)
そういう意味でも良い映画だったと思う。
ところで、この映画、かなりアウトローな人が大勢出てくる。
殺人シーンもある。
これをもって「北九州は怖いところだ」と思われる方があるかもしれない。
しかし、私はそれについて反論するすべを持ち得ないでいる。
感想を書こう書こうと思って書かずじまい。
いつもの悪い癖だ。
本作は「北九州サーガ」三部作の完結篇。
今回は一部主演が浅野忠信であるということがこの映画の性質を如実にあらわしている。
はっきり云ってサブカル映画だし、決してエンタメ映画ではない。
舞台は北九州市の戸畑か若松あたり。
当然ながら、みな北九州弁でそれがやけに可笑しかった。
映画を見終えて知ったのだが、この映画のテーマの一つに「母の愛」があるという。
驚いた、私は本篇を見て母の愛を感じ取ることができなかった。
私には健次(浅野忠信)の母である千代子(石田ゆり)は優しき母というより悪女に見えた。
健次は前の夫との間に出来た子で、現在の夫との間に出来た子に勇介がいる。
勇介は不良息子で家業の運送屋を継いでくれそうにない。
そこで、十数年ぶりに再開した健次に運送屋を継がせようとする。
が、健次は幼い頃、別に好きな男が出来たからといって自分と自分の父を捨てた千代子を恨んでおり、家を継ぐどころか母に対して復讐を企てている。
この復讐の内容がどんなものであるかは本作を見ていただくとして、千代子は本当に健次を愛しているのだろうか。
仮に健次に対する愛は本物だとして、もう一人の息子、勇介に対してはどうか。
千代子は勇介を出来が悪いからといって見捨てるのである。
そして、勇介が駄目なら健次に家を継いでもらえばよいとばかりに健次を温かく包み込む。
ここにどうも利害の感情が見え隠れしてならない。
さらに、かつて自分が息子(健次)と夫を見捨てたことに寸毫の自責の念も抱いていない風で、健次の怒りをいま一つ理解していない。
それゆえ、明らかに敵意を持っている健次に対して常に笑顔をもって接するのである。
マッチが歌っていた「天使のような悪魔の笑顔」を髣髴とさせる。
なにやら、ここに愛の恐ろしさを感じた。
ここでの恐ろしさは愛ゆえに相手の気持ちを忖度しない姿勢であるが、
もっといえば、愛には常に二面性があるように思う。
つまり、愛を施す当事者からみれば愛は至上のもので素晴らしいものであると思っているが、愛される側、または第三者からみてそれが素晴らしいものであるという確証はない、ということである。
・・・以上はあくまでもこの映画を見る際のほんの一つの視点。
これだけでなく、様々な要素が含まれており、見る人によって感じ方が違うと思う。
私自身もいろいろなことを考えさせられた。(説教臭い文脈ではなく)
そういう意味でも良い映画だったと思う。
ところで、この映画、かなりアウトローな人が大勢出てくる。
殺人シーンもある。
これをもって「北九州は怖いところだ」と思われる方があるかもしれない。
しかし、私はそれについて反論するすべを持ち得ないでいる。
実際に北九州人に野生人が多いからではないでしょうか(笑)
こんなこと書くと北九州人から怒られますね(笑)
でも、やはり、北九州はヤクザ者が多いし、車の運転も筑豊以上に荒い。
サッドヴァケイションに描かれている北九州像は決して誇張じゃないと思います。
>理由は、私の父がかなりひょうきんな人なのでそのお陰で家庭の均衡が成り立っているのからなのかもしれません。といっても、父の心の中はかなり常人には理解しがたい偏屈があり、また異常に自信のある侠気が渦巻いていることを感じます。とりあえず私の家庭環境は置いておきましょうか。
じゅ~すさんの御家庭も色々とありそうですね。
私の家庭にもかな~りありますw
>誰しも自身の家庭の問題というのは抱えているものだと思います。それは決して表に出ないものでしょう。
>その辺に面白さがあるんでしょうかね。
ですね。
この映画、あまり身近に起こりそうにないのにやけにリアルに感じるのはやはり、どの家庭にもいろいろな問題があって、こういうパターンも(特に北九州では)ありえそうだと思うからかもしれません。
>それと、浅野忠信が出てるだけでちょっとワクワクするのは私だけでしょうか。
浅野忠信が出ている映画はサブカル好きにとってはまづハズレはないですね(笑)
複雑な家族愛とは、とんと無縁な私です。理由は、私の父がかなりひょうきんな人なのでそのお陰で家庭の均衡が成り立っているのからなのかもしれません。といっても、父の心の中はかなり常人には理解しがたい偏屈があり、また異常に自信のある侠気が渦巻いていることを感じます。とりあえず私の家庭環境は置いておきましょうか。
誰しも自身の家庭の問題というのは抱えているものだと思います。それは決して表に出ないものでしょう。その辺に面白さがあるんでしょうかね。
それと、浅野忠信が出てるだけでちょっとワクワクするのは私だけでしょうか。