同時代と向き合いながら生きてゆく、その、誰もが持たねばならぬ当然の意欲を、時に失ってしまうような出来事が起こる。このぼくたちの同時代は。
もっとも、その出来事はもっと深く広範に起きている嵐、あるいは「時代閉塞の現状」の、ひとつの波頭なのかもしれないけれど。
そしてそれは、いまも、石川啄木の時代も、何時の時代も、形を変えて起きている(いた)のかもしれないけれど。
そう考えると、ますます、同時代と向き合う意欲が失われる。
だから、これは個々の特殊な出来事なのだと思う方が楽なのだけれど。
…ここで、この世から心が離れがちな傾向をいくらかは持ったぼくの、ひどく場違いなつぶやきをふたつ。
厭離穢土欣求浄土
世の中を厭(う)しと恥(やさし)と思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
もっとも、その出来事はもっと深く広範に起きている嵐、あるいは「時代閉塞の現状」の、ひとつの波頭なのかもしれないけれど。
そしてそれは、いまも、石川啄木の時代も、何時の時代も、形を変えて起きている(いた)のかもしれないけれど。
そう考えると、ますます、同時代と向き合う意欲が失われる。
だから、これは個々の特殊な出来事なのだと思う方が楽なのだけれど。
…ここで、この世から心が離れがちな傾向をいくらかは持ったぼくの、ひどく場違いなつぶやきをふたつ。
厭離穢土欣求浄土
世の中を厭(う)しと恥(やさし)と思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば