すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

吊り下げられた柱

2019-05-31 20:43:29 | 夢の記
 古い寺の本堂のような広い暗い場所だ。厚いどてら姿の男たちがあぐらをかいてずらりと何列かに並んでいる。どてらはひどく垢じみていて、男たちはその前をひどくはだけていて、毛深い胸や腹が見える。たくましい、しかし困窮したものたちだ。
 向かい合って黙り込んで座っているのは、役人や資本家や大地主たちらしい。こちらはさらに薄暗がりの中に影が薄い。
 暗い明かりがついていて、両者の間の高いところに、両者の間を区切るように、天井から巨大な柱が一本、吊り下げられている。よく見ると柱は、白い幅広い紙テープのようなものを何本もかけて吊り下げられている。いかにも危なそうだ。
 村民たちが役人や資本家たちの肝煎りで進めてきた工事の資金の打ち切りを告げられて団体交渉をしているらしい。
 「ここで金を引き上げられたら、俺たちももう工事は続けられねえ。この話は全部無しだ」「そうだ。そうだ」
 「今ある金で何とかすればいいじゃないか」
 「とんでもねえ。今だってこんなありさまだ」(と、天井を見上げる)。「柱をしっかりと支えるナワさえも足りねえ。死人が出るぞ」
 「そんなことは言わずに、もう少し頑張ってみろ」
 「このままじゃあ、ここはもうお終えだ。俺たちも村を捨てて出ていくしかねえ。女房子供はどうなる?」「そうだ。そうだ」(と、口々に言って、男たちが立ち上がろうとする)。
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 …これは、目が覚めてひどくびっくりした。今までこんな夢は見たことがなかった。ほとんどが、自分が殺されたりもがいたり行き先がわからず迷ったりしている夢だった。明治時代だろうか? この時代の夢も初めてだと思う。
 いつもなら、多くの夢は自分の心理的状態と考え併せて、何らかの解釈ができそうに思えるのだが、これは自分の意識・無意識とどうつながるのか、どこから出てきたものなのか、見当がつかない。背を向けて、ではないにしても、そっぽを向いているようなぼくのなかにも、いくらかの社会性はある、のかも知れない。
コメント
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