すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

他者から受け取る

2019-05-10 19:30:28 | 無いアタマを絞る
 山之内重美さんからFBの方にコメントをいただいた。読みながら、「ん、これは大事だぞ」と思った。そして考えてみたら、自分の頭の中には視点の欠落が二つあるのに気が付いた。これから先のぼくの生き方にとって、このブログの今後にとっても、これは大きい。山之内さんに感謝したい。
 それにしても、こんなことにこれまで気づいていなかったなんて。
 ひとつは、他者から受け取る、ということ。
 山之内さんや、内海宣子さんや石井みどりさんの生が豊かなのは、他者からたくさんのものを受け取ることができ、しかもそれを味わっているからだ。
 ぼくは、自然が、本が、音楽が、たくさんの豊かさをもたらしてくれることを知っているし、受け取れることに感謝もしている。しかし、もともと他者(人)との関係性について淡白だから(つまり孤独志向が強いから)そこから受け取れるものの豊かさについて、受け取ることの喜びについて、あまり意識したことがなかったかもしれない。
 だからかえって、山之内さんたちのように他→自でなく、自→他ということに、つまり自分が何を言うか、何を発信するかの方に関心がいくのだろう。そのくせ他者がどう感じるかが気になるから、被承認願望とかを意識する。
 昨日、「自分の言動には実はそれが含まれているんだ、ということは知っておいた方が良い」と書いたのは、自戒の言葉であるべきだったのだ。
 もう一つは、プロの視点、ということ。
 ぼくは歌を仕事にはしていなかったから、アマチュアの視点しかもっていなかった。仕事として歌う、あるいはより一般に表現活動を行う、のであれば、その仕事のうちには、他者と縁をつないでいくことも含まれる。他者の存在がありがたい、という気持ちも自然に生まれる。そのことに気が付かないぼくは、アマちゃんだったというほかはない。
 アマでいるかプロを目指すか、というのは(才能の問題は別にして)どちらを選択してももちろん本人の自由なのだが、立ち位置が違うということを意識しないで物を言ってはならない。
 これも、自戒。
 もっと謙虚でなけらばならない。

 以下に、山之内さんからいただいたコメントをコピーしておきたい。了解は取っていないが、FBは不特定多数にあてられたものなので、かまわないだろう。
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 私は、みどりさんともう2人から「Liveを仕事にしてるなら、FBで多少の広報しないのは怠け者」というふうな意味のことを、親身になって強く言われたので、数年前に渋々始めたのですが、その2-3年後から別の喜びに気付きました。私の場合は自己を他人にというより、「今まで知っていた人の日々や考え、感じ方を、味わい深く知ることができて嬉しい」感の方が遥かに強い喜びでした。原則的には面識のない人からの友達申請はスルーさせて貰っており、親しくて尊敬してる人のラインで「おっ」と親近感や共感を覚えた場合にしか新しい人のは受諾しないようにしてます。 繋がったら、自分のを見て貰うだけでなくその相手の投稿も見るのが私の勝手な原則なので、分母ばかり増やしても、とてもフォローできないから。時間がとても足りない。クタクタになってるのを見て、家人は、アホかと思っているようですが、不器用な性分なので、仕方がない。 つまりFB友は相手の生活の時間泥棒でもあるので、私は平均1日1通以上の投稿はしないように自分に制限しています。数日置きに2-3通一遍にというのもその計算内なので可。 樋口さんのもまとめて見ることもよくありますが、けっして見逃さないようにしたい人なので、全部読みたい。それにはちょうどよい頻度なので有難いわ。若い時と違うから、これまでに出会った縁のある人を、丁寧によく知って人生を終えたいと思っています。そういう意味では、私にとってのFBは、とても有難い人生仕舞い時の同伴者となってくれています。
コメント
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