すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

帰国のための荷造り

2019-05-23 21:18:57 | 夢の記
 日本に帰るための荷造りをしている。荷物があまりに多くて、とてもトランクには入りきらない。どうしたらいいのかと困惑している。もう帰国当日で、夕方には飛行機が飛ぶのに、間に合いそうもない。いつもは書籍-百科事典や原書や小説などが多いのだが、今回は生活雑貨や食料品などが多い。アフリカの日本人宿舎らしく、日本人の奥さんたちが何人も手伝いに来てくれる。使えるものは使ってもらうことにする。
 コメを入れた缶のふたを取ると、白いウジ虫が湧いていて、その虫がぞろぞろ出てきて肌を噛もうとする。噛まれるとひどく痛い。必死でつぶしていく。 
 電気屋さん夫婦が腰を下ろして待機している。ぼくが出たら工事をするのだという。「終わるのは真夜中になりそうですよ」と告げる。それでも待つという。
 自然保護の会のKさんから電話が来る。「やめさせられたんか?」と訊かれる。「帰ったら、ミーティングに来い」とも。仕事の世話をしてくれるつもりらしい。しばらくするとまたかかってきて、「もう帰ってきているんか?」と訊く。「まだパリです。着いたら連絡します」と言って切る。向こうとこちらでは時間の進み方が違うようだ。飛行機に乗り遅れてしまう、と焦る。
・・・・・・・・・・・・
 これは反復夢。繰り返し繰り返し見ているが、いつも同じなのは、日本に帰ろうとしていること。日本人宿舎にいること。荷物が多すぎて困っていること。すでに当日で、飛行機に乗り遅れそうなこと。
 帰りたい場所があるのに帰れないで歩き回っている、あるいは乗り物で見知らぬところを走っている、というやはり頻繁に見る反復夢と、根は同じものかもしれない。
 今までは反復部分だけだったように思うが、今回はそれ以外の要素がずいぶん増えている。
 まず、荷物の種類。手伝ってくれる人がいること。白い虫(これは、気色が悪かった)。電気屋。目上の人からの電話。時間の進み方のずれ。
 何よりも、夢の中で「あれ、またこの夢だが、いつもと違う」と感じていること。
 「夢を見ているんだ、と知っている夢は、その夢の中身を変えていくことができれば、現実そのものを変えていくことができる」という説を読んだことがある。「明晰夢」というのだそうだ。
 なぜ、いつもと違う出来事が起きているのかは分からない。
 「ぼくにはまだこなしていない人生の課題がいっぱいあるのだ」と日ごろ心のどこかで感じている、そして「もうあまり時間がない」とも感じているのは確かだ。
 でも今回夢が告げているのは、その、ぼくが課題と思っている、引っかかっているものは、自分で解決しようとしなくても人に託せばよいものか、でなければ、ほとんど既に賞味期限が過ぎてしまっているものか、捨てるべきつまらないものか、有害なものに過ぎない、ということだろうか。
 それにしても不思議なのは、Kさんのことだ。もう30年以上もお会いしていない。
 ひょっとして、亡くなられたのだろうか? ぼくが帰って行く先が向こう側なのなら、時間の流れがこちらと違っていても不思議はないのだが…
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