前日に続き、今日は川越喜多院のご紹介です。
喜多院は天台宗の寺院で川越大師とも呼ばれ、平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号したとの事。広大な敷地は沢山の重要文化財や仙波東照宮なども有り、五百羅漢(自分に似た石仏も有るとか)や客殿(徳川家光誕生の間が有る)、書院(春日局の化粧の間が有る)が特に有名です。但し、今回時間の都合で客殿、書院は撮っておりません。
詳細は喜多院のHP
http://www.kawagoe.com/kitain/information/
をご覧下さい。
喜多院入り口の案内板
喜多院参道(川越城趾側)
喜多院の周辺図(古いモノ)、仙波東照宮近く社務所の横に新しいモノと一緒に展示されている。
こちらは新しいモノ、平成16年と記載されていた。
参道の入口道路を隔てた反対側には川越蔵の街時の鐘を模した蕎麦屋が有った。
参道の突き当たりは喜多院の看板と潮音殿の大きな建物が見える(以前に撮った物)
潮音殿(向かって左側から)
石段を登り潮音殿で参拝する人々
潮音殿の額
潮音殿横の苦ぬき地蔵尊
境内の紅梅と石灯籠
そのアップ
こちらは白梅(背景は客殿)
客殿前の庭(以前に撮った物)
次回は潮音殿以外の建築物や五百羅漢(一部)等をご紹介致したいと思います。
ご覧頂き有難うございました。
喜多院は天台宗の寺院で川越大師とも呼ばれ、平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号したとの事。広大な敷地は沢山の重要文化財や仙波東照宮なども有り、五百羅漢(自分に似た石仏も有るとか)や客殿(徳川家光誕生の間が有る)、書院(春日局の化粧の間が有る)が特に有名です。但し、今回時間の都合で客殿、書院は撮っておりません。
詳細は喜多院のHP
http://www.kawagoe.com/kitain/information/
をご覧下さい。
喜多院入り口の案内板
喜多院参道(川越城趾側)
喜多院の周辺図(古いモノ)、仙波東照宮近く社務所の横に新しいモノと一緒に展示されている。
こちらは新しいモノ、平成16年と記載されていた。
参道の入口道路を隔てた反対側には川越蔵の街時の鐘を模した蕎麦屋が有った。
参道の突き当たりは喜多院の看板と潮音殿の大きな建物が見える(以前に撮った物)
潮音殿(向かって左側から)
石段を登り潮音殿で参拝する人々
潮音殿の額
潮音殿横の苦ぬき地蔵尊
境内の紅梅と石灯籠
そのアップ
こちらは白梅(背景は客殿)
客殿前の庭(以前に撮った物)
次回は潮音殿以外の建築物や五百羅漢(一部)等をご紹介致したいと思います。
ご覧頂き有難うございました。
ご無沙汰致しております。
ご来訪とコメント有難うございましたm(__)m
川越は私の仕事先やジェットスキーの整備を頼んでいるショップが有り、良く行っているのですが、喜多院や蔵の街となるとそれ程行っておりません。
今回は忙しさの中の気分転換も含め、ちょっと足を伸ばした次第です(^_^;)
私の住んでいる練馬からですと車、電車、どちらで行っても1時間も掛からず行けるのですが、何時も目的地の往復だけでした・・・
以前撮った写真も含めやっと日の目を見る事が出来ました(笑)
取りあえず喜多院まではデータを編集致しましたので、それも含め街のデータ(時の鐘周辺)も出来次第掲載する予定です。
ご覧頂ければ幸いです_(._.)_
街のシンボルは時の鐘でしたね。
古い街並みにお店が並んでいて、さつま芋のお菓子が沢山売られていたのを思い出します。
喜多院は勿論行きました。
春日局の化粧部屋も覚えています。
古い家を見学させて貰ったら、階段の一つずつが引き出しになっていました。
〇十年も前のことなので記憶が断片的です。
こうして見せて頂いて、有難いです。
白いシダレウメが綺麗ですね。
またじっくり行ってみたいですが、ちょっと遠くて…。