『管子』の用例では、美人の色仕掛けとして、この言葉が使われている。『論語』では、仁が少ないという仁の論の文脈で用いられている。だから、『論語』の場合は、女性のエロティックな意味合いではなく、「顔つき」「顔色」の意味である。むろん、『論語』には、「好色」という言葉があり、それは『管子』の用例と一致する。孔子の学園では、『色』という文字の意味は、管子の学派よりも広い意味で、つまり性別に関係なく使用されている。このとき、『賢賢易色」を『管子』の女性の色仕掛けの誘惑と混同すると、とんでもない翻訳が生まれる。『管子』と孔子の統辞には、約100年の差異がある。孔子たちが、『管子』の時代に合った詩、おそらく1000編以上を303編に絞り込み『詩』に編纂するプロセスが、孔子学の真髄といえる。富山藩の藩校の「広徳館」の『詩経』は、誤った注釈をすべて省き、孔子の編纂した裸の『詩』に立ち返っている。逆に、薩摩藩、長州藩の藩校では、朱子の注釈を残した。全国で、富山だけが、朱子学を大胆に卒業していたのである。あるべき明治維新は、富山の藩校にあったのである。
国会の委員会は、ダイレクトにSNSで労働実態につき、国民の調査をすることだ。 goo.gl/j5qLiS
— 中村哲夫 (@shinjyugaku) 2018年3月4日 - 06:21
過労死で死ぬほどの苦労を強いられる極限は、誰にでも天の試練として与えられる。 goo.gl/6Gw1tw
— 中村哲夫 (@shinjyugaku) 2018年3月4日 - 06:59