純科学という語は、学説の原理の次元での人類の知的遺産の継承と発展という意味で用いている。中国のある学者によると、技術偏重の風潮が強すぎること、それと、漢語は純科学に不適で、英語を絶対視する風潮への異議があるようだ。つまり、漢語のIT化により、中国は純科学の分野で、漢字の概念をうまく生かせば、純科学における漢語による学理・学説の体系化と、それを踏まえた新展開が期待できるという。その論は、中国の古代科学の先進性への「自信力」に根拠を求めてられている。ニーダムの研究を根拠とする議論である。しかし、中国の哲学において、真理の価値を実用に求める思考法が「自信」となっており、純科学に生涯をかけ、無名の地味な研究を見守る環境にはない。官僚や資産家になることを強いる家族、地域、国家の仕組みにはさからえないからだ。