トシコロのありのままの暮らし


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風化しつつある大震災の時の絆と、今後の展望

2017-10-26 11:36:24 | 日記
 日本中のかなりが大揺れした東日本大震災。東京でも震度5の揺れが5分間続き、怖かったのを覚えています。北日本の人たちはもっと怖かったですね。被災地は勿論、日本全国から「助け合い」とか「絆」という言葉が聞かれて、お金を寄付する人や環境問題に関心を持つ人も増えました。さらには、「世界中に連帯の輪を広めよう」という言葉も飛び交いました。本当に国境や民族を越えて、そうなれば、世界平和も近くなるわけですが。以上の気風は震災後1年くらいたっても続いたと思います。


  でも、いつの間にか、以上の声は世間でも、ネット関係でも、新聞やテレビからも聞こえなくなった。それに変わって、学校関係ではイジメ、世間でも親子殺人みたいな事も多発しています。聴覚障碍者や精神障碍者が差別される事件も聞こえます。更には、大阪では森友学園事件が起きてしまった。本来なら市民がコントロールしなければならないのに。国政選挙も連続して、約半分が棄権する有様。何故、棄権するのでしょうか。政治に対して、社会・世の中に対して、無関心な人が多いのでしょうか。お金を第一に考える人たちも多い。果たして、お金が第一でしょうか。高齢者の孤独死も多い。

  以上は人々が連帯していたら、ありえない事ですね。では、大震災直後の連帯の機運は何だったのでしょうか。僕が見るに、それはムードだけが先走り、連帯の根拠が見出せなかったからだと思います。根拠がないと、人々はすぐ忘れますね。とは言え、どんな根拠でも良いわけではない。かつて、ナチスは「ゲルマン民族性」を根拠にドイツ人の連帯を訴えましたが、民族性を根拠とするのは危険である事はナチスの例からもよく判りますね。

  今の科学に照らすと、「人間の遺伝子は99%以上が共通しているから」しか、連帯の理由はないと思います。一つでも、連帯の理由があれば、大いに噛みしめ、連帯していきましょう。そうすれば、高齢者の孤独死も、学校のイジメも、親子や夫婦不和も、離婚も、殺人も非常に減り、政治無関心も激減し、更には、人間とエコ中心の経済構造に変わっていくわけです。どこの国でも良いから、そのような連帯社会ができて世界に広まるきっかけが今後は作られて欲しいです。