トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

煩わしさ

2016-12-06 14:14:27 | 日記
  伊藤まつさんなど、僕が関わり合ったハンセン氏病元患者たちが最も訴えていた事である。やや状況は違うが、S園の身障園生たちとか。元患者たちの場合は、差別の事は訴えなかった。差別を受けた苦しみも深刻だっただろうが、その比ではないだけ、元患者同士や、身障園生同士の煩わしさが深刻だったわけである。


  僕も色々な意味で、以上の気持ちはよく判る。もし、僕もコロニーみたいな所にいたら、同じ想いをするわけだし。ハンセン氏病療養所の場合は、個室や夫婦室もあり、プライバシーは守られているが、それでも、個々人の目的も違うのに、元患者という理由だけで、同じメンバーとだけ毎日顔を合わす事を強いられる生活はいかがなものかと。「社会」は本来は色々な人がいる広い所なのに。体や知的、精神に障碍を持つものもいれば、健康な人も、相撲取りみたいに有り余る体力を持つ者もいる。一緒に暮らす。それが社会なのに。社会から「ライ予防法」なるもので隔絶され、療養所に一生暮らさないといけなくなった。何かと。その法律が撤廃された今日でも、世間で暮らす生活訓練はされていないから、元患者たちは療養所暮らし。解放されるのは「死」の時だけ。理不尽だと。

  「煩わしさ」では僕も経験がある。元患者の例とは一緒にできないにしろ。1980年前後に僕は多くの福祉会や身障会を経験。でも、どこでも、会員制で、会員でないと友人になれなかった。社会から自ら隔絶するように、内輪で社会や福祉の事を話し合う。社会性のない所で、社会問題を話してもろくな話はできない。抽象的になり、どの会も早く潰れた。同じメンバーばかりと顔を狭い所で合わせてばかりいたため、僕も煩わしかったし、同様に煩わしさを訴えた人達もかなりいた。今思うと、それは1970年以降の日本の若者文化の流れから来ていたらしいのだ。1970年ごろ、全学連運動が挫折し、代わって、十数人から数十人の会を作り、内輪しか通じない事を言ったり、酒を飲んで楽しむ文化に変わったが、僕が青春を迎えた70年代後半は各ボランティアや身障運動、福祉会もサークル風にやるようになり、そういうものだと各人が信じ込んでしまっていたのだ。そのサークル文化は80年代に濃くなり、新興宗教ブームにつながり、更には、オウム真理教を生み出すまでになったが。オウム真理教はともかく、元患者たちの隔離はいけないにしろ、自ら社会から隔絶する事もないと思うわけだが。そのような所では、話も限定されるから、ろくな話もできず、相互理解もできないわけである。僕自身、80年前後のサークル活動はもうたくさんだと思っている。嫌いだね。

  元患者たちの持っている煩わしさを少しでも心に留めていただいたらと思います。

煩わしさ

2016-12-06 14:14:27 | 日記
  伊藤まつさんなど、僕が関わり合ったハンセン氏病元患者たちが最も訴えていた事である。やや状況は違うが、S園の身障園生たちとか。元患者たちの場合は、差別の事は訴えなかった。差別を受けた苦しみも深刻だっただろうが、その比ではないだけ、元患者同士や、身障園生同士の煩わしさが深刻だったわけである。


  僕も色々な意味で、以上の気持ちはよく判る。もし、僕もコロニーみたいな所にいたら、同じ想いをするわけだし。ハンセン氏病療養所の場合は、個室や夫婦室もあり、プライバシーは守られているが、それでも、個々人の目的も違うのに、元患者という理由だけで、同じメンバーとだけ毎日顔を合わす事を強いられる生活はいかがなものかと。「社会」は本来は色々な人がいる広い所なのに。体や知的、精神に障碍を持つものもいれば、健康な人も、相撲取りみたいに有り余る体力を持つ者もいる。一緒に暮らす。それが社会なのに。社会から「ライ予防法」なるもので隔絶され、療養所に一生暮らさないといけなくなった。何かと。その法律が撤廃された今日でも、世間で暮らす生活訓練はされていないから、元患者たちは療養所暮らし。解放されるのは「死」の時だけ。理不尽だと。

  「煩わしさ」では僕も経験がある。元患者の例とは一緒にできないにしろ。1980年前後に僕は多くの福祉会や身障会を経験。でも、どこでも、会員制で、会員でないと友人になれなかった。社会から自ら隔絶するように、内輪で社会や福祉の事を話し合う。社会性のない所で、社会問題を話してもろくな話はできない。抽象的になり、どの会も早く潰れた。同じメンバーばかりと顔を狭い所で合わせてばかりいたため、僕も煩わしかったし、同様に煩わしさを訴えた人達もかなりいた。今思うと、それは1970年以降の日本の若者文化の流れから来ていたらしいのだ。1970年ごろ、全学連運動が挫折し、代わって、十数人から数十人の会を作り、内輪しか通じない事を言ったり、酒を飲んで楽しむ文化に変わったが、僕が青春を迎えた70年代後半は各ボランティアや身障運動、福祉会もサークル風にやるようになり、そういうものだと各人が信じ込んでしまっていたのだ。そのサークル文化は80年代に濃くなり、新興宗教ブームにつながり、更には、オウム真理教を生み出すまでになったが。オウム真理教はともかく、元患者たちの隔離はいけないにしろ、自ら社会から隔絶する事もないと思うわけだが。そのような所では、話も限定されるから、ろくな話もできず、相互理解もできないわけである。僕自身、80年前後のサークル活動はもうたくさんだと思っている。嫌いだね。

  元患者たちの持っている煩わしさを少しでも心に留めていただいたらと思います。