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国会議論は、その他の議論とどのように違うのか

2016-12-12 15:13:30 | 日記
 「議論の問題」の拙文のフェイスブック向けには、末尾に「国会の議論は別です」という特別説明を付けざるを得なかった。多くの国会議員さんも拙文を読んで下さるから。ありがたいです。


  「国会は、日本国の最高機関」と日本国憲法にあり、国会議員たちは選挙民から政治権威と国政選択権を与えられた人たちであり、「重大な責任」を持つ人たちだから、国会の議論も本当は重く、特に国民に有害になりかねない法案に対しては議論も極めて重要なのです。例え、政権党が90%の状態の国会でも、議論は尽くさないといけません。そうしなかった例の一つが、ハンセン氏病元患者を隔離したライ予防法ですね。   

  ここから先は、ラジオで竹村健一氏が述べていた事を引用します。氏は「民主主義は、古代ギリシャ以来の「権限委託」である。選挙民が選んだ大統領なり、議員なりに政治権威と選択権を委託する事である。だから、アメリカやフランスの大統領はあのように強い権限を持って政治選択をしている。イギリスの議員や首相も同様。でも、どうも、日本は、戦後に民主主義が入ってきた時に、皆で何でも話し合って決める事が民主主義だと誤解したらしい。政治委託の事は相当な知識人でも知らない人が多い」。

  そうかもしれません。学校でもそのような事は僕も教えられなかった。多くの人が。「政治権威と選択権の委託」である事を知っていたら、誰でも真剣に投票をよく考えてするわけです。いい加減に「A党にしよう」とか、他人や宗教関係に頼まれての投票は非常に減るわけですね。また、国会議員たちの意識も変わり、責任感を持つわけだから、汚職などは非常に少なくなるし、国会議論も、どの党も真剣で細かいものになる。例えば、カジノ法案の時の「教育面。児童や生徒に与える影響」も深く論議される事でしょう。(若い時の僕が見てきた「議論の場」はいずれも無責任で共通している。各々勝手に福祉や教育についての意見を言い合っては叩き合いもしていた。調べたわけでも、勉強した訳でもないのに。また、議論を取り合えずすれば、皆のやりたい事や一緒にやれることが出てくるのではないかと言う場もあった。何も出なかった。当たり前だ。やりたい事が出れば、誰でも議論なんかせずに行動する訳だから。日本の終戦直後の小説・映画に「青い山脈」があり、皆で何でも話し合って解決する事が民主主義だと信じた当時の日本人の姿が描かれている。若い時の僕が見てきた諸々の会の議論の様子はその「青い山脈」の果ての姿だったと言える。)

  以上のカッコ内の事はともかく、ここで我々日本人はもう一度民主主義について再確認して、責任ある考えた投票を各自して、責任のある議員さんを選出し、国会の場で責任ある議論をしてもらおうではないか。カジノ解禁が与える少年たちへの影響とかもしっかりと議論していただきたい。ギャンブルが好きな少年少女が出たら、大変である。