トシコロのありのままの暮らし


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「アジア太平洋戦争」の補足

2016-12-08 11:54:00 | 日記

  勿論、根の根が朝鮮の問題だったとしても、旧日本軍の大罪は軽くはならないし、その暴走を許した日本政治の弱さも免罪にはなりませんよ。

  但し、戦争は複雑な要因が絡んでいる。アジア太平洋戦争の問題も満州事変以降だけを見ても限界があると僕は述べたわけです。

  日本の免罪みたいに思う人が出たら、僕としては不本意だし、それこそ、中国やアメリカ、フィリピンなどの人たちに失礼にも当たるので、以上を補足します。

アジア太平洋戦争の根の根は、1890年頃の朝鮮王国の内紛か?

2016-12-08 11:03:23 | 日記
 強引とも思える題だが、説明していこう。


  1941年の旧日本軍のハワイ攻撃は、1932年の満州事変の延長である。満州事変は確かに当時の日本軍部のわがまま行為によるものだったが、それと同時にすでに朝鮮半島が日本の支配下にあった事を忘れてはならない。朝鮮支配がなければ、船だけで中国東北地区に十分な兵員と武器、食料などを送る事はできないし、満州事変もあり得なかったわけである。

  では、日本の朝鮮支配は?というと、1910年に行なわれたが、それは日露戦争と日清戦争の結果である。後者の日露戦争も日清戦争がなければあり得なかったわけだから、日清戦争に注目して良いと言える。その日清戦争は、元々は1890年ごろの当時の朝鮮王国内の深刻な政治対立が根だった。貴族や官僚たちが清帝国派と日本派に分かれてケンカをして、そこに日清両国が介入して、日清戦争になったからである。勝った日本は軍事的な勢いも付き、後の50年間に渡り、アジアに軍事侵略していったのである。仮に、その戦争に清帝国が勝てばどうなっただろうか。判らないが、これもろくな事はなかったかもしれない。単純に考えれば、軍事侵略の役者が清帝国になっていただけだったかもしれない。日清のどちらが勝とうが、朝鮮人民やその他のアジア諸国にとって良い事はなかったと思われる。

  1890年ごろの朝鮮半島で、両派でもない、「朝鮮独立派」という勢力がなかったのか?と思うのだ。当時は民族独立は難しい状況だったにしろ、朝鮮独立派が朝鮮王国の大勢を占めていれば、日清も介入はできず、日清戦争もなく、東アジアは平和になり、日本はもちろん、清帝国も、朝鮮王国も西洋の優れた科学技術を取り入れて、大発展。経済も伸び、1930年前後の不景気も起こらなかったかもしれなかった。あと、清帝国は政治も現代化され、皇帝は日本の天皇のように象徴性にもなり、朝鮮王国も同様の変化を遂げて、民主化も行なわれた。その動きは東南アジアやインドにも及び、早い時期に次々と西洋から独立したかもしれない...。

  時は飛び、第二次世界大戦後。ルーズベルトとスターリンの密約で、朝鮮半島は分断された。それもいけない事には違いがないが、その時からずっと朝鮮半島では、北は共産主義派、韓国はアメリカ派が政権を担い続けている。確かに、清帝国派も、日本派もなくなっているが、共産主義派は清帝国派、アメリカ派は日本派に形を変えただけのように見えてならない。もし、韓国だけでも、「朝鮮独立派」なるものが大勢を占めたら、北の人たちも次第に同調し、アメリカとロシアの密約も覆し、民族統一も成し遂げられるのに、とも想像するのだ。その片鱗はかつての金大中大統領に見られる。僕の知る限り、金大中は戦後の韓国の中では唯一の朝鮮独立派だろうから。

  戦争は今後はないかもしれない。でも、このままの朝鮮半島が続けば、そこに今後も日本、アメリカ、中国、ロシアが干渉し続け、永久に冷戦は続き、複雑な大国間の対立と葛藤も続くだろう。不安定なまま、東アジアは推移するわけである。北朝鮮の核やミサイル開発もエスカレートするばかり。いずれそれに伴う事故も起きて、人も死ぬかもしれない。それも不幸な事である。

  アジア太平洋戦争を想うはずだった今日の文が、朝鮮半島問題になってしまった。それだけ、そこは昔からデリケートな地だし、また、1932年前後の旧日本軍のわがままだけでも片付けられない面があるわけである。本当に日清戦争、更には、その原因の朝鮮王国の内紛にまで逆上ると言わざるを得ないが。

  過去の戦争の道と、未来の恒久平和について考えてみて下さい。