トシコロのありのままの暮らし


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伊藤まつさんと付き合えた理由と、そこから得たもの

2016-05-02 14:25:35 | 日記



   出会いの時、元患者の伊藤まつさんから「車いすの人(僕)と話がしたい。何かのお役に立てたら」と言われて、付き合いが始まった。交友の種は伊藤まつさんが作ってくれたわけだ。

  ハンセン氏病の因縁を僕も知らないなりにも、時々行き続けた。とは言え、行く時は大体サポーターの一人か二人と。大人数で行く事はなかった。僕は重い言語障碍を持っているが、サポーターの人を介しつつも、伊藤まつさんに僕の事を伝えた。今思うと、一生懸命したと。まつさん側もそうしたし。あるいは、葉書を書いたりして。少人数でいつも行っていたから、僕も一生懸命意思を伝えられたと思う。もし、それが多人数ならば、「自分が話さなくても、誰かが話し掛けるだろう」と思って、怠けてしまい、逆に早く止める結果になったと見ている。相手に迷惑だけ掛けて。実際、それに近い例がある。僕も入っていたある福祉会に耳の聞えない人がいたが、会う時はいつも会合やコンパだった。僕も「自分が話し掛けなくても、誰かが話して、彼の相手をしてくれるだろう」と思いこみ、多くの人がそうしたらしく、相手にされず、その耳の聞えない人は僕含む、ほとんどと友人になれなかったという事もあった。グループの中にいると、どうしてもそうなる。これに対し、個人と個人で心合わせて付き合うと、満足の行く交友ができる。S園の野口栄一氏との交友もそうだった。

  そして、個人と個人の付き合いの果てが恋愛とか、夫婦縁、親友縁だろう。その事を伊藤まつさんや野口栄一氏は教えてくれている気がします。「しっかりと関わり合えるから、愛もできる」わけです。逆に、僕の見た範囲ですが、グループにこだわった身障会や福祉会は関わり方が粗雑で、ケンカも多く、禍根を残して潰れたのもあります。「皆で力を合わせて盛り立てる」はグループ活動の理想ですが、人間は弱いため、理想通りには行かず、怠けや甘えがどうしても入るわけです。怠けや甘えは愛を消す働きがあるらしく、ケンカにもなる。正直言って、僕もグループ付き合いはもうたくさんです。

  連休なので、政治家などに向けた働きかけの文はお休みし、回想的なものを書きました。でも、その中から「愛はしっかりとした関わりから」という事が浮かび上がってきました。怠けはいけない事も。恐ろしいわけでもありますね。