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伊藤まつさんとの初外出・その3

2015-05-20 11:16:21 | 日記


  当日は日曜日。H会の他、YVCという福祉団体の人たちも来て、伊藤まつさんの生い立ちについての講演会を全生園の集会場で行なった。その話自体は覚えていないが、伊藤まつさんは八王子に1908年に生まれ、小さい時から体が弱かった為、母親が病院にまつさんを端から連れていった。12歳の時、大病院でハンセン氏病にかかっている事が判り、その母は「お前はこれからは神様の子です」と言い、全生園に入院させ、以降、会っていない。入院前の事を普段から多く語っていました。母親との関係が非常に印象的だったから、そうなるのでしょう。

  それから、療養所内の事で一番語っていたのは、終戦直後の食糧難の時期。全生園にも食料配給が減らされて、伊藤まつさんは一部の有志と一緒にアメリカ進駐軍に「全生園の人たちは飢えている。食料を増やしてくれ」という手紙をたどたどしい言葉で書き、増やしてもらった事、及び、早くに天国に行った夫の事でした。その2つを若い人たちに話してくれたのは当然だったでしょう。でも、それ以外の療養所の生活の様子は余り話さず、世間の事を逆に聞く事が多かったわけです。昇天後、ある人から「伊藤まつさんは、若い時には療養所内で保母さんをしていた」事も聞いて知りましたが。確かに、こっちは外部者であり、療養所の詳しい様子を話されても話が通じませんから、その辺の所も察して余り話さなかったのかなとも思います。

  伊藤まつさんは本当は社会に出たかった。でも、体が極めて弱く、医療ケアが欠かせないため、その面だけでも在宅生活は難しかった。あと、当時はヘルパーが極めて少なく、介護面からも難しい。本人の言うように「顔が醜い」から、その面でも在宅生活は気が引けるはずです。でも、一番の壁は、今の僕が気が付くに、お金。長い療養所生活ならば、金銭感覚はゼロに近くなり、お金の使い方も判らない。本当に在宅生活すれば、欲望のまま、お金をあっという間に使ってしまい、非常に困るわけです。それは長年施設生活をしている身障者の問題にも言えると思います。介護や医療ケアはできても、お金が。極めて難しい問題です。

  とは言え、ハンセン氏病後遺症者も、その他の障碍者も、価値観・性格・生き方・やりたい事と、本当に一人一人違うから、「ハンセン氏病」とか「脳性まひ」ではくくれません。実際は一人一人違った人間です。それゆえに、一からげに療養所やコロニーみたいな所で暮らす事を強いるのは本当におかしいです。隔離福祉を徹底したら、多くの人は障碍を持つ人の事は知らないようになるわけです。その場合、「多様性」を人々は学べず、社会も多様性や柔軟性を失い、社会も、政治や経済も硬直化してしまいます。そのような国は滅びます。良くないと。

  今日はここまでにしておきましょう。

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