トシコロのありのままの暮らし


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伊藤まつさんとの初外出・その4

2015-05-23 10:11:33 | 日記
  タクシーに乗って、職員さんが予約しておいた清瀬市の中華料理店の一角に行き、まつさんも、僕も車いすを降りて、ソファみたいなイスに座る。二人共、その方が楽だから。ジャスミン香の水とメニューが運ばれてきた。とは言え、まつさんは料理の種類を知らない。サポーターたちと僕が柔らかい物を選んで決める。その時、まつさんは

  「シュウマイは嫌い」

と言ったので、それは頼まなかった。もう30年以上も前の事だし、食べた料理名は残念ながら、僕も忘れた。一つ、マーボー豆腐を頼み、仲間の一人が「これは日本各地で食べられている料理です」と説明したのを覚えている。後、ジャスミン茶も。

  当然、多くの人が同様にその店で中華料理を食べていた。彼らは明らかに僕の方を向いていた。行く前に話していたような、まつさんをジロジロ見る事はなかった。そうだろう。僕は歩けないうえに、腕が脳性まひ特有の緊張した姿。まつさんと並んでも、僕は非常に目立つ。注目されるのも当たり前である。でも、思い出すと、他の場所よりも注目の度合いが強かったように記憶している。清瀬市は多磨全生園に近く、当時は脳性まひの事は知られていなかった。ならば、多くの人に僕はハンセン氏病元患者だと思われていた。当時は気が付かなかったですが、そんな気もするわけです。昔の事だし、その事についての感想を述べる事はできないにしても、貴重な体験だったかもしれない。療養所の中ではあり得ない経験です。被差別経験を語る元患者は多いかもしれませんが、経験談=差別でもないし、具体性も乏しく、話からは差別の事は正確には伝わらないわけです。更には、脳性まひ者の書いた脳性まひの本を読み、脳性まひを誤解した例があった事も知っています。「ボランティアは福祉関係の本を読むな」と多くの福祉関係者から聞いた事があります。それはともかく、脳性まひ問題にしろ、ハンセン氏病問題にしろ、言葉や文にする事は元々不可能なものですが、以上からそれらの問題のさわりだけでも掴めてくれたら、幸いに思います。

  思い出し次第、伊藤まつさんの事を書いていきます。