トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

その生活は清原氏の望みだったのか?

2016-02-12 11:31:09 | 日記



  昨日のブログを書いた後、大事な事に気が付きました。

  かつての清原氏の豪華な生活は社会=多くの人々に支えられて成立したものです。草野球の例の通り、野球ばかりしても、豪華な生活にはなりません。日本プロ野球機構があり、12球団があり、清原氏の所属していた西武ライオンズや、東京ジャイアンツがあり、それを見に来る、テレビやラジオ観戦する何百万人ものファンがあって、それを伝えるマスコミもあって、巨額な収入や豪華な生活が成り立っていたのです。そのくらいは清原氏も判っていたでしょう。そのような生活を本当に望んでいたら、本人の心に自然に感謝の念が起き、多くのファンなどとつながっている事も悟り、常にテレビなどで「ありがとうございます」と言うはずです。選手引退後も強い感謝の念を社会に持ち続けるはず。それならば、寂しさや空虚感もなく、妻子ともうまくやれ、離婚もなく、又、覚せい剤にも手を出さないと。おかしいですね。何分、現役時代から覚せい剤を使用していたそうですから、もっとおかしい。

  人間は自分の意に本当に沿う事を人々からされた時だけ感謝するものです。人から意に沿わない事をされた時は感謝の念は絶対に起きません。皆様も覚えがあると思います。ならば、あのような生活は本当は清原氏の望むものではなかったのではないかと推察しました。まだ高校生の時に野球で騒がれ、自分の気持ちを見失ったまま、プロ野球に入り、走り続けたのかもしれません。

  大きく見れば、経済大国になった日本、韓国、中国などの多くの人達にも言えるかもしれません。日本に絞って述べると、敗戦で日本中が徹底的に飢えました。それで戦後の日本人は政治家・役人・庶民と経済成長に力を入れてきた。そうなりましたが、それは産油国が喜んで石油を売ってくれた事や、輸入した資源を基に作った製品を世界中の人々が買ってくれたお陰なのですが、僕の見た所、それらへの感謝の気持ちを持つ日本人は少ないように思えます。感謝すべきだし、感謝できなければ、経済中心から別の生き方を模索しなければなりません。

  個人にしろ、国単位にしろ、社会や世界に感謝できない生活をするようでは中途半端になり、後はろくなことは起きないと警告して、この文を終えます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿