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日本の過去からの道を変えるSFを書くならば

2018-07-03 13:50:31 | 日記
明治期の小学一年の国語の教科書の最初を「サクラはなぜ咲くのだろう。みんなで考えて、知ろう」みたいに僕はするだろう。


  「桜」は日本を代表する花と(花見は)文化であり、それ自体は否定はおかしいと思う。美の追求も人間の本分の一つだし。でも、それだけではいけない。そこに「考えること」と「みんなで=社会性」を付け加える。特に「みんなで」は民主主義の根幹だろうし、皆で深く考え合えば、例え政治家の腐敗汚職が起きても、民の力で失職でき、まともな政治家に代える事もできよう。また、友人関係や兄弟関係も、教育勅語に盛り込まなくても、まともに作れるわけである。

  以上ならば、大正デモクラシーの後の政治家汚職、政治の衰退も違った形になったと。政治家も、軍人も考える人が日本では多くなった。それでも、例えば、ドイツではナチスが出ただろうし、二つの世界大戦は起きた。戦争は各国の力バランスも影響するから、日本も巻き込まれなかったとも、アジアに侵略しなかったとも言えないが、それでも、違った形になったのではないか。例えば、朝鮮を一旦は植民地化しても、早くに独立させたとか、中国に徹底した侵略もしただろうか。一方では、大正時代はかなり障碍者運動も起きたから、福祉も早くに発展したとか。ハンセン氏病関係の政策も違った形になったのではないか。

  無論、過去を変える事はあり得ないわけだが、日本の道を考える材料にはなるし、今後の教育などのあり方の参考にはなるだろう。何も教育関係に限らず、誰もいつもよく広く考えていきたいものである。

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