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三島由紀夫割腹自殺が全学連に挫折感を与えた説

2017-06-06 13:11:15 | 日記
 1970年11月のある日。中学3年だった僕は家に帰り、TVを付け、好きな相撲を見ようとしたら、臨時ニュースが流れていて、三島由紀夫という作家が自衛隊員の友人たちと国会議事堂を占拠し、日本国民向けの演説をしていると言う。僕は三島の事は知らなかったが、ただならぬ事件である事は判った。少し後、三島は割腹自殺を遂げたわけである。第二次世界大戦の時代を生きた父母が夜に心配そうに話していた。本来ならば、国会議員全員と(時の)佐藤栄作首相も殺して、クーデターを計画していたそうで、佐藤首相も激怒されていたそうだ。でも、当時の僕には訳が判らず、その事件はきれいに忘れた。


  1990年代。全学連の歴史を振り返るTVやラジオ番組がいくつか放送されていた。知識人たちが色々な事を言っていたが、その中には「三島事件が全学連運動に衝撃を与え、挫折させた。確かに、クーデターはならなかったが、日本の最高機関である国会に突入したため、全学連の活動家たちは右翼に先を越されたと思い、強い挫折感を味わい、以後、全学連は終息に向かった」。1990年以降、知識人たちがそのように言っていたので、僕もその説を信じてしまった。

  でも、先日、全学連は非常に早い時から会派に別れた事を知り、改めて以上の説を考えてみた。確かに、知識人たちは文献など、根拠があって述べているのだろうから、間違いではないと思う。でも、それだけでもないと。むしろ、昨日の拙文の通り、早い内から全学連は会派に分裂状態にあり、行き詰まっていた事が挫折の根本原因だったと思われる。それに三島事件が拍車を掛けた面は否めないが。そして、若者たちは憲法・法律に次第に無関心になるか、金儲けの道具としか考えなくなり、その傾向が全世代に及び、新聞にも余り憲法の事は載らなくなっていった。身障運動家たちも、中には憲法の基本的人権に乗っ取ってヘルパーや障害基礎年金の運動を地道に続けた人たちもいたが、逆に憲法・法律には無関心で、健全者の差別性ばかり問い続ける人たちも現れた。歴史に「もしも」はおかしいが、全学連たちが会派を作らず、初心通り、憲法・法律や人権の事を追及していたら、多くの国民が憲法や人権に関心を持ち、日本の政治・経済、福祉も違ったものになっていただろうと思われる。

  国単位で見ても、国内に様々な王国みたいなものができると内乱状態になり、滅びやすいと言う。何かが滅亡する時はその前に内部に原因があるのが歴史の範である。全学連もその通りだったかもしれないと思う次第です。


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