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「私に「光明」の名を教えた子

2016-09-22 11:31:33 | 日記
  1961年春から夏。3ヶ月間、東京都の板橋区にある「整肢療護園」という、身障児の幼稚園みたいな所に母子で、住み込み入園し、合宿生活みたいな日々を送った。そこではリハビリ、マッサージ、お遊戯をした。有名人の訪問も多い所で、歌手の坂本九や橋幸夫も訪れた。当時の僕にはどのような人かは判らなかったが。また、たまたま当時の皇太子夫妻(現行天皇陛下)も訪れて、記念写真も撮っている。その写真は今でも家にある。


  大体、私と同じ年齢の、木製の車いすに乗っていた女の子が毎日「光明(こうめい)」と言っていたので、私もその名を覚えてしまった。光明とは、体の不自由な子供たちが入れる学校であること、学校では字を覚える所だという事もその関係から、母から聞かされて知った。その子の名前は覚えていないが、いかにも光明に入学する事を楽しみにしていた事は思い出してもわかる。学校に期待する事は、5歳前後としては相当な高度な知能を持っていたはずだ。

  ところが、翌年の入学試験で、その女の子は落ちてしまったのだ。「光明」の名を教えた子が落ちて、教えられた私が合格。今思うと、非常に皮肉である。何故、落ちたのだろうか。判らない。勿論、その子の運命も判らない。合格していたら、当然、同級生になっていただろうから、今ごろは私のブログも読んで下さっていただろうに、とも思う。その子も、父母も無念だっただろう。

  その合宿部屋にいた子の名前は二人覚えている。アキラ君とセイキ君である。アキラは京都の人で、その後は京都の養護学校に入り、小学6年くらいまで、彼の父母から年賀状が来た。

  セイキ君は体が非常に弱く、その2年後くらいに病死している。

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