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ある痛ましい出来事と、性的虐待について

2015-06-29 12:56:46 | 日記



  6月12日、インターネット上のある記事から極めて痛ましい事件を目にした。何年も前の事だが、日本のある所の教会でその一人の牧師が少女に性的虐待を行なった事である。その少女の心の傷は一生癒えないだろう。しかも、聖書の福音を伝えるのが仕事である牧師がそうした。記事を読み進めると、その教区の牧師たちはこぞって、事実を隠ぺいしようとしたそうである。これも非常に罪は重い。隠ぺいは一種の「ウソ」であり、これも聖書に反しているわけである。1995年には沖縄県でアメリカ兵による同様の事件も起きた。この種の事件は日本でも厳罰化の方向に進んでいる。数か月前も厳罰化の推進を求める広告書を目にした。

  今回の少女への祈りの次に僕が思った事は、そのような事件の原因を徹底的に解明して、以後は起きない社会にする事である。これしかする事はないと。それに限らず、厳罰化だけでは、全ての犯罪は根絶しないからだ。ほとんどの国では殺人は死刑や終身刑、長期懲役刑になるが、それでも跡を絶たないではないか。それと同じである。

  性的虐待の理由は非常に難しく、僕が無責任に推察して語れるような事ではない。それゆえ、心理学や性医学、社会学などを総動員して、原因を徹底的に解明し、起きない対策を作るべきである。それと、地域社会やネット社会などの人間関係。その絆が薄れているところほど、性暴力も起きやすい傾向がある。人々は連帯して、心支え合い、生かし合い、愛の世界を作らなければならない。そのような社会ができるまで、全ての犯罪は根絶できないであろう。

  因みに、その教会には行った事がないが、その教派は30年前の僕が少しだけ関係した所である。だから、内部も少し知っているわけである。宗教の問題は微妙であり、教派名は記さないが、可能な限り、そこの教えの事なども次の文では述べていきたい。

  面識はないとは言え、その少女への祈りをお願いする次第である。

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