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実録小説・シマハタの光と陰・第24章・孤立

2022-01-25 14:05:11 | 日記
  1973年(昭和48年)も春である。タンポポやスミレがいっぱいシマハタ周辺にも咲き誇っている。しかし、林田博士は憂鬱な気持である。園児が少しでも風邪引いたり、ケガや事故があった時は素早く職員は届ける決まりだが、近ごろはかなり遅くなったり、中には園児の父母からの連絡で、一園児の軽い風邪やケガのことを知る時もあるのだから。また、指示を職員が聞き忘れる・誤解する例も増えた。普通の職員は勿論、室の主任職員でさえも、林田博士に話し掛けることは少なくなった。そのくせ、職員会議では、「林田博士は神様みたいなお方ですから」みたいな変なほめ言葉も目立つ。雲の上の人に見られているようである。そのことに気が付き始めて、林田博士は

  「私は神ではないし、何でもできる者でもない。ただの人です」と繰り返し言うようになったが、これが謙虚さに受け取られ、ますます祭り上げられ、他の人たちとの意思疎通を欠くようにもなった。孤独感も強まっていった。



   そのようなことは、会社や役所など、世間の至る所で見られる現象である。大きなところで、戦前の天皇陛下もそうであった。そのようになっても、平常時ならば特に問題は起きないわけだが、何かの非常時になると意思疎通関係の矛盾が多様な形で出て、現場は混乱するわけである。



  世間に目を向けると、学生運動の挫折で政治に無関心な若者や高校生の間まで無気力感が覆い、暗い内容の歌謡曲や小説が流行るようになった。日本列島改造計画を推し進めるなど、田中首相だけが元気な様子だった。海外では、アメリカ軍が南ベトナムから撤退して和平の機運が高まっていたが、何故かアメリカのキッシンジャー補佐官が「これから石油不足の危機が起こるから、アメリカはそれに備えなければならない」と言うようになった。そのニュースを林田博士もテレビで聞いたが、何を意味するかは理解できなかった。しかし、...。



  



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