トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

感情型ファシズム

2018-06-27 10:10:04 | 日記
  永井荷風は自らの「断腸亭日記」で、早い時期から第二次世界大戦の日本の敗北を予測し、又、「日本軍の快進撃に酔いしれる日本民衆」を冷ややかに見ていた。終戦になり、今度は誰もが人が変わったように、平和主義になった事も皮肉に思われていたようである。貴重な史料である。


  戦争の時はただ自国の軍の進撃を喜び、世界を大局的に見る事を知らず、反戦者の口を封じようと躍起になり、終戦後は平和主義に。当時の日本国民の大多数はただ感情的になっていただけである。感情は常に変わる。だから、終戦後は多くが別人化したわけである。もう一つ指摘すると、その国民の感情は戦争の前から軍部、権力者、マスコミが非常にあおった面もあった。それも悪かっただろう。

  その他に、戦前の日本の教育も問われる。児童・生徒の考える力・理性を伸ばしていただろうか。戦前の教育を受けた父は「中等学校の歴史の時間は、歴代天皇の名前を丸暗記するだけだった」と述べていた。父に限らず、そのような教育しか受けられなかった人たちは歴史に疎く、大事な歴史的事実も知らず、更には、歴史観も育たないわけである。その他、父は「理科も程度が低かった。戦後の教科書は理科も、社会科も詳しく書いてあり、うらやましい」と述べていたわけである。確かに、社会科も、理科も生徒の思考力や理性を育てる大事な材料だから。


   戦前の小学校は「サイタ、サイタ。サクラガサイタ」で始まり、天皇を国のお父さんと教えるなど、僕にはどうも感情・感性に偏った教育だったと思われます。その結果として、感情的に動くだけで考える事ができない人が非常に増え、特に理性的に深く考える政治家と役人、軍人が育たず、戦争の道の原因の一つにもなった。そのような事も僕は考えてしまいます。

   戦後もその大きな余韻が続いたせいか、考えられる人は少数派らしいです。又、キリスト教の愛は本当は理性を基盤としたものなのに、それを情緒的に捉えるクリスチャンも多く、その結果、甘えや甘やかしにもなっていく。僕が実録小説とて書き始めたS園が次第に狂っていった理由の一つもそのような事もあった気がします。

  話を戻して、戦後は確かに理科や社会科の教科書は改善されましたが、自分の頭で考えられる人はどれだけ増えたのか。かつての日本のファシズムは「感情型ファシズム」という性質もあったと思いますが、その復活は許してはなりません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿