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「感情型ファシズム」の補足

2018-06-28 16:16:26 | 日記
   そこから「神風特攻隊」と「戦前の日本のハンセン氏病患者への強制隔離」を連想させられた。前者から話そう。


   戦死、特に敵艦に体当たり攻撃をしての死を美化し、散りゆく桜の花になぞらえる。実際は美しくもなく、敵・味方の別なく、恐ろしい事だが、その発想を産んだ旧日本軍人たちも、それを受け入れ、指示した当時の日本国民の気持ちも、「サイタ・サイタ・サクラガサイタ」で始まった戦前の教育の結果に僕は思われて仕方ないが。考えすぎだろうか。


   一方では、「感染防止」の名の元、ハンセン氏病患者は明治の内から次第に隔離され、特にアジア太平洋戦争の時に隔離のピークに達したという。でも、例えば、結核など、ハンセン氏病よりも感染性が強く、致死性も高い伝染病はいくらでもあるわけである。何故、ハンセン氏病が狙い撃ちされたのだろうか。理由の一つとして、普通の人たちと比べて顔や体の形が変わっており、多くの人たちには汚く感じられるからだろう。確かに、この患者は太古から人々に嫌われていた。顔や体で人を判断して差別するのは困ったものだが、何も日本だけの問題ではないにしろ、日本の隔離政策は徹底してたとよく聞く。そのような人たちとも理性的に意思疎通していけば、心も通じ、付き合えるのに。それにも以上の影響を思わざるを得ません。

   第二次世界大戦が終わり、昭和天皇は一時キリスト教に心を傾けられ、「日本が戦争の道を歩んだのは、キリスト教精神がなかったからだ」とおっしゃられたと聞いた事があります。キリスト教の理性的な愛が欠落していたと思ったと。昭和天皇は外国人たちとも多く付き合っているから、キリスト教の愛は理性的なものである事は御存知だったかもしれません。でも、以上の教育を受けた多くの日本国民ならば、キリスト教の愛も感情中心に誤解して解釈して、甘えにもなり、大して変わらない結果になるのではないかと思います。感情中心ならば、隣人の事も深く思いやれないから、隣人愛も成立せず、自己中心・自国中心になり、狭い見方になり、戦争の道も歩んでしまうわけですが。更に言うと、その問題は昭和天皇は語られていない。昭和天皇御自身は日本国民の事をどれだけ理解していたのか。「日本帝国のお父様」と呼んだ多くの国民の心理も理解できていたのか。そのような情報すらも入らなかった。...。極めて難しい問題ですね。因みに、例のS園では関係者にはクリスチャンが非常に多かったですが、最初は良かったものの、愛と甘やかしを区別できないクリスチャンが多く、問題化していきました。心ある職員からもその事を聞きました。はっきり覚えています。他の所でも「聖書の愛とは何かね。判らない」と言って、悩んでいるクリスチャンや牧師の声も僕はたくさん聞いています。ならば、戦前に日本でキリスト教を普及させたとしても、感情や感覚中心で、理性の頭脳を鍛える教育をしなければ、歴史は大して変わっていない気が僕にはしますが。

   とにかく、難しい問題です。戦前は男子も理科教育が不十分だった。女子は尚更そうで、それゆえにそのような女性たちが母親になり、障碍児を持てば、ものすごく悩み、困ったり、育児放棄や甘やかしにもなったわけですね。その一母親の貴重な証言も聞いていますから、実録小説では書いていく訳です。教育の問題は大きいです。

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