トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

「会合の場の決定」の根の一つ推察

2019-07-08 10:45:10 | 日記
  根の一つは、昔の福祉会や身障団体の構成員のほとんどがそれまでの社会経験が学校生活に限られていた事もあるかもしれない。僕は教育関係者でもないから大した事は言えないし、検証は不可能だろうが。


  高校までの各学校は授業時間は40分から50分。その間に国語や算数、社会科などの一授業を完結させる。方程式などの解をその時間内に急いでやる事も多い。小学の作文の時間は2時限連続の例が多いが、それでも一時間半から二時間弱。でも、学校の授業の目的の一つは、学ぶ事を「頭に叩き込む」事だから、それはそれで構わないと思う。それにケチを付けるつもりは毛頭ない。

  ところが、こう書くと読者の皆様の中にはお判りの方もいると思うが、福祉会や身障団体で話し合った事は、学校の授業と性質が違うのである。例えば、ヘルパー制度がなかった時の在宅身障者の問題の話し合いは「頭に叩き込む」目的ではないわけである。ハンセン氏病差別、統合教育、身障者の結婚生活の事とか、全てそうである。それらの事を短時間に論じて、「頭に叩き」込んでも、誰の為にもならないわけである。それらの問題は各自が自分の頭でしっかりと、かつ、非常に時間を掛けて考えていかなければならない。

  でも、構成員たちは学校の事しか社会生活は知らない人ばかりだったようだから、授業の癖も出て、会合だけの限られた時間内で頭に叩き込もうとしたり、即決したりした。結果が悪くなった例も出た面もある。構成員たちは大体1950年代生まれだったが、その時の日本の小学から高校までの人間関係・社会関係は本当に家族・親族の他は、学校に限られていた。全国的に地域付き合いは崩壊し、また、ITなどはなかったわけである。学校生活しか知らなければ、その後も学校風の活動に自然になるではないか。構成員を「狭かった」と批判もできないわけである。

  以上を書いた僕だが、先の「会合の場の決定の危うさ」を書いた時点では、以上の事は気が付かなかった。それを書いてからも、同じ問題を多面的に時間を更に掛けて考えたため、以上の根の一つが推察できたわけである。即決の癖が残っていたら、以上の事も思い付かなかったわけである。時間を掛けて、多面的に考える事は大事である。

  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿