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無用なトラブル・S園について口を閉ざしていた理由

2019-03-14 11:28:00 | 日記
  この件は40年以上昔で、しかも、2つの出来事を同時並行的に書かなければならないから、筆記が難しいが、例の実録小説には記す予定はないものの、ブログという形で述べます。


  まず、僕がS園の身障室に行き始めたのは1977年6月でした。所属していた福祉会のT会の一員として行ったわけです。当時はすでに一園生K氏が園と生活状況関係の紛争が起きており、僕もそこに秋以降、ずるずると巻き込まれていきました。その事は以前にブログにも書きましたし、色々な人たちに個人的にも話しています。翌年、K氏は、この僕のT会の総会に、S園の生活状況を訴える為に介護付きで行こうとして、園からストップが掛けられ、それで僕も園と衝突したわけです。以上が第一の出来事のあらましです。以上は一旦置いておいて、T会のS園班の経過を以下述べます。


  T会は他にもいくつか活動場所を持っていましたが、77年春からS園に行く人が増えた。S園には多くのボランティアが来ていますが、T会の人たちはS園に行ってもT会同士でしか付き合いませんでした。その秋から、一部の人が「ボランティアの目的は社会変革。社会変革の為にS園に行く」と言い始め、たちまちそのS園に行くT会のほとんどの人たちが「社会変革」を唱えた。しかも、憲法や法律には基づかず、また、具体的な社会ヴィジョンも示さず。間もなく、職員、後援会、一部の園生が「T会はおかしい。政治セクトではないか。S園を自分たちの政治勢力拡張の拠点にするのではないか。更に、荒井(僕)はT会に祭り上げられた人物ではないか。彼は可哀そうだ」と思うようになりました。一園生は僕に「T会にはまともなボランティアはいないから、止めた方がいいですよ。T会は過激派ですよ」と警告もしたわけです。

  ここで再び園生のK氏。氏はどうしても政治関係に疎く、自民党しか政治を知らない。セクトの意味も判らない。「政治セクト」という言葉を聞いて、T会は自民党の下部組織とおもったらしく、そこに行って訴えれば、生活向上を政府に訴えてくれると思い、以上のようにT会の総会に出席を希望。当時の僕は本人の言うがままに進めたわけです。但し、僕もT会は何の会か、判らなかったから、K氏にも、他のS園の人たちにもT会説明はしなかったし、できなかった。

  そのケンカは激しく、僕も「身障園生の結婚関係」など、やりたい事を残して去らざるを得なかった。トラブルに何故なったのか、僕も後年まで考え続けたし、同様の会員もいた。心の中では、S園行きを否定していた面があり、数年前までは元会員にしか話せなかったわけです。

  確かに、憲法・法律・政治を学ばない人が「社会変革」を唱えた事は非常におかしかったし、憲法や法律に基づかない社会変革活動はいかなる動機があっても、不法の反社会活動になるだけですから、してはいけないし、述べても無責任言動になり、以上のように多くの人たちの不安と迷惑になるわけです。

  S園を止めた後も、二人の園生と文通し、特に群馬に引っ越した寝たきりの文士の野口栄一君とは、彼が天国に行くまで付き合えて良かったと思います。もし、人生を繰り返すならば、S園に行き始めた時点で、T会は止め、S園に来ていた多くのボランティアの人たちと付き合い、彼らから送迎の介護も頼むわけです。そのT会は79年には潰れています。必然的だったと思います。

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