トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

教育勅語的恋愛

2019-12-18 09:39:59 | 日記
教育勅語が作られた時の日本は、恋愛は一般的ではなかったが、教育勅語風に当てはめると「恋人、仲睦まじく」になるだろうか。でも、その過程である絶え間ない意思疎通を省いて、いきなりそうする事は不可能である。


   教育勅語が廃止された戦後は恋愛は自由な気風になったが、どうも以上のような恋愛が世代の別なく、主流になっているように見えてならない。事実かもしれない。近年に僕が見たミクシーでの中年の男女交際を例にとっても、いきなり女性に「好きだ」と告白し、女性側が非常に迷惑し、トラブルになった例とか。それは自分の感情の押し付けに過ぎないのに。40代にもなって、そのような事も判らないのである。あるいは、女性でいきなり男性に仲よくしようとして、何もできない例とか。あるいは、異性を「フィーリング」なる、訳の判らない事で選ぼうとしたり。1970年代から多くの男女交際を見てきたが、意志疎通を欠く例が非常に多く、今思うと「教育勅語的恋愛」と述べたくもなるわけだ。友人間や夫婦間同様に、男女間も「絶え間ない意思疎通」の果てに恋人になれるし、意志疎通=愛と言っても過言ではないようだが。

  「平成になって、恋愛が消えた」と先日はテレビ番組で聞いたが、そうではなく、意思疎通が構造的に日本社会は不足しているから、元々まともな恋愛はなかったと思われる。歌謡曲的な恋愛ムードを恋愛だと思っている人たちが昭和(1989年1月以前)には多かったが、それは一種の幻想だろう。ムードからは何もできないわけである。

  外国の事はよく判らないが、日本人は意思疎通を活発にして、男女間は真の恋愛をし、又、多くの人達も意思疎通を図り、連帯し、福祉社会も作る必要があるわけである。