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中国古典詩「玉階怨」から想う共生

2019-12-07 14:05:59 | 日記
NHK第二放送の「漢詩を読む」の今日午前の番組に以下の古典詩があり、考えさせられた。紹介する。





  玉階怨   謝朓 
 


  夕殿下珠簾

  流蛍飛復息 

  長夜縫羅衣 

  思君此何極

  

  玉階=宮殿の階段。この詩では、宮殿そのもの。怨=悲しみ。夕殿=夕方の宮殿。珠簾=真珠で飾ったすだれ。羅衣=絹の着物。思君=あなたを想う。何極=尽きない。




 夕暮れの宮殿は真珠のきらびやかなすだれを掲げている。
 蛍がたくさん流れるように飛び交い、息もする=光が点滅する。
 長い夜に薄絹の縫物をしながら
 あなたを想う心は尽きないの。




  謝朓は5世紀の人。 以上の通りになるでしょうか。特に、最後が僕は気に入りました。
  それにしても、謝朓は男ですよ。それが見事に女心の微妙さを歌いあげている。そこに僕は感心しました。集中力を発揮すれば、男でも女心は判るわけです。5世紀に作られましたが、現代日本に生まれれば、ものすごい歌謡曲の作詞者になったとも思います。女心を歌った歌謡曲のかなりは男性が作ったものだから。僕も「女心は判らない」と言っていられないし、僕も集中すれば判るわけです。同様に五体満足の人たちも集中力を発揮すれば身障者の気持は判るし、目が見える人たちも盲人の気持ちが判る。健聴者も耳が聞こえない人たちの気持は判ると思います。
  無論、個人間も。集中力を発揮すれば、どんな人でも気持は判ると気が付きました。古典は過去の事だけでなく、今や未来も判るようです。
  夫婦にも言えるし、夫婦愛は特に集中して理解し合える。熱い気持ちは下火になっても。恋愛と夫婦愛はどう違うのか、今までの僕は判りませんでしたが、このような事だったかもしれません。

  因みに、以上はある親しい友人に話し掛けたものを編集して、載せたものです。一人で書くと、内容に限界があるのかもしれませんね。