トシコロのありのままの暮らし


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「異なる組織が出会ったら」の補足

2018-09-10 13:55:31 | 日記
  その文の後半に書いた「異なる教派のクリスチャン同士のケンカ」で僕が中立を貫いた理由です。


  1983年でしたか。長野県のある知的障碍者施設の交流キャンプの場でした。詳しい事は書けませんが、両派は教義や偶像・聖像崇拝の問題で対立があるわけです。そうかもしれません。400年前にたもとを分かった両派です。今では別の宗教みたいになっているわけです。合わないし、集団心理に流された事もあり、ケンカにもなったわけです。僕もその場の多数派のキリスト教関係と縁ができていた時でした。


   ケンカ自体は異様に感じましたが、僕は何も口出しせず、中立。それもそのはず。どちらの教義や聖像・偶像問題、牧師・神父や主教などの件に全く無関心でしたから。それどころか。その施設の職員や園生にも無関心。その場でも、その5、6年前に行ったS園の事ばかり考え、その話ばかりしていたわけだから。僕の話も断片的だったから、聞いた人たちも判らなかったわけです。僕もその教派グループとも早くに縁が切れました。僕の心は相変わらずS園に向いていたわけですね。僕と親しかった3人の園生はすでに退園していたのに。内、二人の園生と文通していたわけです。以上の教派グループは内紛もあり、今はほとんど潰れたようになっているらしいですが。

   また、その時期くらいまで、元患者の伊藤まつさんという人に求められて、ハンセン氏病療養所の多磨全生園に時々行き続けていましたが、やはり、そこでもS園の事ばかり考え、ろくにハンセン氏病関係を見る事もできなかったわけです。僕がハンセン氏病問題を知ったのは、2000年の「訴訟和解」以後、新聞からでした。

   もっとも、S園にこだわりが強いから、今になったとは言え、実録小説を書くなど、つながっているわけです。S園に行った健全者サポーターのかなりもこだわっている人もいますから、何も僕が身障者だからこだわっているわけでもないでしょう。それだけ、人の心を打つ何かと、麻薬や人体実験みたいな難しい問題とがあったわけですね。

   僕も弱い人間に違いないから、S園にこだわらなければ、その場でどちらかの教派に加担し、相手の悪口を一緒に言い、罪を犯したわけです。S園に行ったお陰で、僕は罪を犯さずに済みました。行って良かったと思います。