トシコロのありのままの暮らし


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天才頭脳を持つS園元園生の三浦修氏の要望と、S園が狂った事への想い

2018-06-04 14:55:25 | 日記
   やがて実録小説に登場する三浦氏。極めて頭が良く、歴史への造詣も深い。但し、頭の回転が非常に早い人の特徴だろうか、自分の判った結論だけを述べて、そのようになる説明は省略する癖がある。省略というより、説明ができないかもしれない。天才肌の人たちに見られる事である。


  三浦氏は僕に「S園の事を天下社会に伝えて欲しい。これがここに来る人たちの勤めだ」と、判りやすい言葉に直せば、そのような事を1977、8年に言っていた。当時はITはなく、やるとして、新聞やTV番組に働きかける事しか手段はなかった。僕はマスコミの在り方に疑問を持っていたし、それ以前の問題として、S園の何を伝えれば良いか、判らなかった。断片的に話しても誰も相手にしてくれない事は当時の僕もよく知っていたし。

  実録小説を書き始めて以上を思い出し、気が付いた。「S園の事を文にして伝えろ」ではなかったか。又、「手紙で見る限り、君はS園の事を文にして伝える力はある。君の文の力を使って、伝えて欲しい」と。結局、あれから40年して、三浦氏の要望を果たしているようなものである。又、基本的には他の園生たちもそのような社会的な使命を僕に求めていた。

  因みに、三浦氏は当時面白い事を言っていた。「やがて、コンピューターが各家庭や人々を結ぶようになる。身障者も好きなだけ社会に訴えたり、異性の人を見つけて、結婚もできるようなる。特に、身障者の状況はよくなる」。78年の僕は訳が判らなかった。まさに、今の状態。三浦氏は当時から5年もしたら、そうなると思っていたようだ。当時もIT技術はあった。アポロ計画で発明されたが、当時はアメリカ軍が軍事通信に使い、情報技術は隠ぺいされていた。庶民は知らなかったが、S園はNHKと縁があったから、NHKから秘密情報が洩れて、三浦氏たちも知ったのかもしれない。

   もう一つ。以上の十数年前の創立期のS園。初代園長、小説では、林田を中心に高邁な理想を掲げて作られたが、いつの間か、狂い、麻薬投与みたいにもなっていった。高邁な理想が何故挫折していったのか。方向はやや違うが、やはり、資本主義・ソ連型官僚社会主義の両方を非難して、高邁な理想を掲げて、共生の国を目指したカンボジアのポル・ポトが自国民を虐殺という、ナチスみたいな残酷政府みたいになった事も昨日は僕も連想したと。それにも通じるような根が深い問題があるのかもしれない。それも追求したい。

   とにかく、そこに行って、僕は良かったわけです。

書き始めた実録小説について

2018-06-04 10:37:02 | 日記
  第一章では、話の入口として自分の出生時や脳性まひを持ったいきさつについて書きました。無論、僕自身の記憶のない時期の事ですが、父母から断片的に聞いた話を組み合わせてストーリーを書いたわけです。カズオ・イシグロの小説「遠い山並みの日々」では、両親から断片的に聞いただけの日本の田舎町やそば屋の様子を見事に再現して書いていますが、そこからわずかな情報からでも事象は再現できる事に気が付いたので。その小説も参考になりました。


  一章後半で出てくる医学博士の林田。名前を変えてありますが。その人が主人公みたいなものです。あと、かなり先に出てくる3人の大人園生と。小説では第2章も幼き日の僕も出てきますが、以後はしばらく退きます。林田博士が中心になるわけです。(これが自叙伝ならば、父母の気持ちも非常に掘り下げて書く所ですが、目的はあくまでも「シマハタ」なので、あっさり書きました)


  尚、私=荒井俊雄と、以上3人の園生は実名で書きます。でも、それ以外の登場人物は全て名前を変える予定です。その技法は、オウム真理教の問題の実録小説である村上春樹著「1Q84」から知りました。

  以上の作家であるカズオ・イシグロと村上春樹には敬意を表します。