トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

取水堰の環境変化、既にステージⅣ!

2024-09-11 | 今日は真面目に

 WOWOW放送開始に先立ち設置した受信アンテナの寿命が来てしまった。見積もりの日・取り付けの日、やる事も無いので水源地の顛末を拾ってみた。消去した写真も多数だしブログ内のアルバムはサービス業者の移動を余儀なくされた段階で撮影日時のデーターは全て消えてしまい詳細不明になっている。それでも大方の推移は判明するだろう。

 さて隣り沢からの取水・送水路は江戸時代末期、現フイールド水域に新田開発を行いその用水調達のために水路と尾根を貫通させた用水トンネルで構成された。話によれば昭和の中頃まで田圃として使われていたそうだがその後は放棄されている。ただ送水路は活きていたらしく上の池(溜池として掘削された)には水が届いていたらしい。田んぼとして機能していた頃に取水堰とパイプによる送水管での水調達があったのかどうかまでは小生には不明だ。取水堰と送水管路の完成は平成14年度(2002)で、それ以前に用水トンネル両側で斜面の崩落があり埋まって「ポンプ車のホースで水圧を利用して穴を探したが発見できなかった」と事情通から話を聞いているので公による工事の必要性はあったのだろう。

 2002年度取水堰完成、送水管路約800mを沢沿いに下降させ尾根の末端を回し現吐水位置まで送った(高低差は3mと聞く)。小生らがこのフイールドで活動開始は2009年からで取水堰を構築して7年後だ。取水場所付近はまだ藪沢状態だった。写真で見る限りは小規模の工事で取水堰横幅は3m程度でしかない。最大水量はこれで間に合うと言う設計だったのだろう。水路幅を決めていた堰上部のコンクリート護岸は活動を開始して以来見かけていない。

 ステージ1。2013年ころの小規模崩落。取水升近くまで水路でなく2本の大径管を用いている。度々水路の埋没があったと思われ、それの影響を少なくするための通水菅敷設だったようだ。ただ管径で通水量制限があり増水時には奔流が別方向へ流路を形成してしまい、全体としてみれば管理上は厄介だった。奔流になると取水路を外れる流路を形成する。つまりは逸脱する癖を醸し出す。

 同時期の取水升掘り出し作業。樹木の堆積がみられるから斜面崩壊の結果であろう。崩れた土砂の上に新たな流路を作り水を流す。この繰り返しで溜まった土砂を流出させ河床の維持に努めたのは今も変わらない。2014年までこの程度の作業で送水を維持できていたことになる。河床全体にも及ぶ保全策は必要なかったのだ。2014年以降、大規模出水が頻発し当然断水も増えて通水作業にはエンジンポンプの力も借りなければやり切れない排砂作業が増えたのだ。それまではパイプレンチ2本を携行し40m毎の継手を外し水が通るのを待ち、更に次の継手に行き同様の作業を繰り返す事を延々と行わねばならなかった。

 ステージ2。2014/10/6 台風18号の豪雨350mm超で取水域の沢崩れ多数発生した。堰の右岸側上下も崩れたのだった。取水升への流路は流れ落ちた土砂の上に流路を穿ち取水。その流路の浸食で崩れた土砂を流すという長い戦いの始まりである。この時は担当課へ「取水堰の復旧工事」を相談したが「金が無い」で終わっている。この時の奔流と土砂崩れで堰本体の左岸側半分が消失し左岸側岸が大きく侵食されて取水不能の事態が目前になった。ここから10年にも及ぶ河床安定化作業が始まる。丸太を据え土砂を溜め、更に丸太を据え土砂を溜める事の繰り返しで河床を上げつつ右岸流の安定を図ったのだ。

 2016/4頃の1枚、堰の横幅が短いため奔流が左岸側を崩壊させて水路になった修復部分。浸食がすすむと取水不可能になるから段差工で「沢止め」を行っている途中。浸食堆積流を活かしながら河床を上げ右岸流の安定を図る、と言う作業が続く。この成り行き次第の現在進行形の現場内に寄生取水が発生して対応作業の障害になって迷惑この上も無い行為が続いた。信義則も持っていない小ずるく立ち回る輩には対処の仕様がない。まあ、端的に言うなれば「ひとでなし」である。写真中央部のタマアジサイの株あたりが破断され消失した取水堰の破断面である。この位置まで左岸河床面を上昇させておかないと取水不可能のリスクは消えない。

 取水堰上下の崩壊土砂は水流で浸食させ従前の流路を復活させた。左岸の段差工は更なる土砂流出で再構築を余儀なくさせられる。流路の右側の小山は左側からの沢崩れの残骸である。崩れた上に水路を穿ち浸食流でここまで河床を下げ本来の河床まで低下させた。左岸側の段差工の上に更なる段差工を施し増水時の砂礫で埋まる事を頼りに河床を上げる年月が続いていく。 

 2019/6 傾斜角を上げ再構築し谷止工完成。これで取水堰への流路が安定するだろう。取水不能を心配しなくても良くなったのだ。思えば2014年の大規模沢崩れ以来、水流浸食の助けも借りながらの長期間作業だった。黒い管は寄生取水管だ。河床安定化作業進行中の河床に取水升を設置され作業を行なえなくなる状態が続いた。話し合いも無く設置された構築物であっても撤去するのは水争いの種になる。河床の安定化作業は他人任せにして何食わぬ顔で取水升を設えてしまう輩はあの県知事の人格と似ているかも・・・。労力は出さないが私利には暴欲の典型であろう。

 ステージ3、2022年10月の豪雨で河床が1mほど上昇した。幸いにも段差工部は破壊されず右岸流は保たれている。さらに幸いなことは段差工上部の立ち木や流木が流路の抵抗となり河床を盛り上げてくれた事である。大規模奔流で期せず自然堤防が出来た。この時点での山腹の崩壊は少なかったのだが奔流で流出した土砂の量は莫大で水系に棲息していたトンボ種の大減少となってしまって数年で回復できる中身ではない。取水地としてはこれで安心していたものの2024年8月台風10号の余波700mmを越える雨量で重機でなければ復旧は無理の段階に至るのである。写真の河床は全て砂礫の下になった。河原幅も広がり取水堰の位置は判明しなくなる。  

 ステージ4。2024年8月末の台風10号による積算雨量740mm、1時間雨量100mmの豪雨災害で取水地の沢も河床が1mほど上昇して取水堰も埋まり位置不明になった。急速な取水升埋没で砂泥での閉塞に至らなかったのはさいわいだったがおっつけ、砂礫の隙間も砂泥で埋まれば断水である。その前に取水升を露わにしないとフイールドの水域は死ぬ。取水堰は胎盤に例えられるし送水管は臍の緒にあたる。取水地は子宮にも相当するから今回の豪雨被害はステージⅣの体癌に例えられよう。孤老奮闘しても土砂崩れに園芸スコップで対処する様なもんだな。風船潰しに屁をひって行おうとするにも近いか。まあ、取水升を掘り当てられるかどうかは九月上旬の段階では皆目判らん。

 写真の河原に目を転じれば小さな植生が見えるが、これは河床上昇前の段差工上部の植生である。段差工は既に破壊流出埋没したのだが奔流に抵抗出来た時間もあったので左岸水路を大きく作る破局的段階は避けられた。しかし水が引いた後、右岸から左岸への水流路が二筋出来ていてこれが侵食破壊流になる。この後さっそくに右岸側に水流を誘導する手当を行った。これ以降は「埋蔵金探索」あるいは「金鉱探し」としてお宝の取水堰をゲットしたい。それよりも宝くじで高額当選を果たし業者に復旧作業を行わせた方が確率は高いと思えるが・・・。1枚300円を連番で3枚買えば前後賞までゲットだが年金では買えんなあ。貧乏人は粛々と砂遊び、災の河原の砂遊び。水路を作ればまた埋められる。