トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

一穴潰せば二穴が参上!我が身は腰痛・ひじ痛・歯痛の惨状

2021-09-30 | 小人閑居して憮然
 このところ二つ池の水位が低いままだった。漏水による事は想定できても場所を絞り切れない。それでも底を見せて干あがる事は無かったので「いつかは視認できるだろう・・・」と水見回りの度に観察は怠らなかった。ところが腰痛に加え歯茎の痛みで急遽受診休日とした翌日の水見回りでは池の底が全て見えるほどの涸れ様で慌てた事、この上もない。
 全面枯渇  ➡    瘻孔二カ所

 池の底が露わになってカワニナやタニシばかりが目立ち、既にメダカ一匹姿も無くなっていたのだ。しかし流入する水路をたどれば漏水孔は一目瞭然、それも二カ所双子の漏水孔だった。
 その上、皮肉なことに先般、漏水部を外すために陸化させた用土を採ったエコトーン跡の漏水だった。漏水部を潰した行為が新たな漏水部を造ってしまったのだ。骨折り損、無駄骨、マーフィの法則、とまあ、何とでも罵詈雑言は出てくるけれど、そんな事は何の役にも立ちはしない。

 しかし、今の我が身は腰痛回復途上、右腕テニス肘状態で、土木作業など行いたくないどころか禁忌行為に近いのだが、そうも言ってはおれない状況でもあった。聴くところによれば行い正しい人柄は「我が身に鞭打つ」行為とか「釘板の上に座す」行為とか「五体投地で長距離移動」とか「寒中水垢離」とか「五穀絶ち」等々行うのだそうで、そういう視点からは「小生も行い正しい、人品卑しからず」の人間なのはずなので我と我が身への苦行は避けられないのだった。
 故に止むを得ないと言うより忖度と言う世間体に負けスコップと唐鍬を用意して池に入った。人生「そうあらねばならぬ」矜持は大切なのである。決して「昼寝欲」」や「白飯欲」「強炭酸水欲」などの誘惑に負けない打ち勝つ強い意志が必要なのだった。

 水があると作業がやり難い。そこで流入部の導管を塞ぎ水が引くのを待ってから漏水孔潰しを行う。干上がった底から40cmほどを掘り抜き埋め戻し鎮圧して二件落着。スコップで掘り取るたびに切断面には小指の入るほどの漏水孔が現れてくる。その下に更に太い漏水孔があって集合して下棚の漏水出口に出てくるのだ。この棚は農耕牛耕作時代、作業中の牛が陥没孔に落ち、それからは田に入るのを嫌がった、と言う話を土地の古老から聞いている。その場所は度々大きな陥没孔が現れて、ある出水時にすべての流入水を呑みこんでいたことがあった。土嚢を用意して投入しつつ保守作業をやっていた折に足元が崩れて小生も太腿まで落ち込んだ事があった。この時ばかりは人知れず行方不明者となりお陀仏か、と一瞬思ったものだ。それに懲りてから水域を狭めて陸地化させ、そこの範囲から突き出させ安全率を高めたのがエコトーンだったから、まあ、「いつかは露見する」場所「向こう三間両隣」でもあるのだった。
                 瘻孔潰した   ➡    流入水が回り始めた

 腰痛の腰には無理な動作をさせず二つの瘻孔を潰し、水止めを切った。現在20ℓ/分、程度の流入水があるので一晩で満水位に達するだろうが、メダカの回復は流下体に頼るしかなく、この池に居た群れは全滅と言って良いだろう。ヤゴの生存も気になるけれど、これも運を天に任せるしかなく、小生の出来る範囲は湛水させていく事だけに尽きる。「水切れ・水断ち」は食物連鎖をも断ち切る事の最大要因なので「腰が痛い・腕が、肩が・・・」なんて事は言えない非常事態で、かくして我が身体髪膚、癒える時は来ないのだろうて…。
 「善行・功徳を積めば極楽・天国」なんて台詞は信じるに足りず、果ては無機物となり宇宙の深淵に存在しつつ次の生命や物質へ輪廻転生を続けるだけの時空なのである。故にだからこそ「水溜り」の維持に執念を燃やす価値がある。そこは小さな宇宙でもあり始まりでもあるのであって、これは信じるに足りる。