トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「喰って喰われてお山は安泰・・・」

2021-09-23 | 小父のお隣さん
 泥水池3の抜去除草中、法面の草むらに張られたコガネグモの巣にバッタとシオカラトンボが絡まっていた。どちらが最初か不明なもののトンボを覆った糸を見れば顔面がぐるぐる巻きである。このやり方はクロスジギンヤンマが捕獲された時にも観察しているので通常普通の対処法なのだろう。トンボの危険な部分は大顎に他ならないからだ。
 飛翔能力に優れた肉食性昆虫であるトンボも場面を変えれば捕食される立場であって、コガネグモでさえそうなのだ。いつだったか種類も忘れてしまったけれど野鳥がホバリングしながらクモを捕捉しようと巣と対面していた場面に遭遇したことがある。喰う者も喰われる者も相互に切ってはいけないリングの中で生きている事をまざまざと見せてくれる。
             

 次に見たのは竹の支柱の先端での捕食だった。「多分オオカマキリでしょう」とS先生はこともなげにおっしゃったのだが、確定するには下翅を観るのが良いのだとか。小生にはそこまでして種の確認は出来かねる。カマキリも数種が観察されるものの「カマキリ」ですまして丁度身の丈に合致しているのであった。
 カマキリが捕捉したトンボは竹の支柱に止まっていたところか止まりに来たところでバッサリと大鎌を出されたのに違いない。昔の話になるけれど、トノサマバッタを捕捉したカマキリが頭部から齧り始めて「ガリガリ」と音を立てる様は「さすが肉食系」とネコ科やイヌ科の骨を食む音に通じるものがあった。

 喰いつ喰われつが糞断、いいえ、ふんだんに見られるうちはお山も安泰と言うものである。喰う者も喰われる者も姿を消せばThe ENDである。そう、糞が絶たれるとはまさしくEND、終末の場面・位置、そうなのだ。つい昔の飢餓のアフリカに於いて肛門にゴム栓をした子ども等の写真を見た記憶があるが、現在も同じだろうと思わずにはいられない。出るものが無くなれば腸さえ出てくる飢餓状態とは「開放区のアウシュヴィッツ」に同じなのであろう。
             

泥水池2、3の除草

2021-09-23 | 水辺環境の保全
 今期は既に二回の抜去除草を行なっているのだが晩夏の暑さで瞬く間に繁殖し席巻してしまったキシュウズズメノヒエである。別名「夜這い草」と忌み嫌われているいわゆる水田雑草なのだが繁殖力は半端ない。ランナーはどんどん伸長させ節々からはすぐ発根させ根付く。元株も分蘖(ぶんげつ)著しく一握りするほどに分蘖すると両手で引き抜こうとしても固い土壌だと抜けないほど強固に育つ。
 この抜去作業を続けていると握力は下がるしテニス肘状態の肘近くにも痛みが続くようになって治りにくくなる。時折は左手を主役に交代させてはみるものの利き腕にはかなわない。鍬を打ち込んでもスルリと抜けるし貝掘り熊手は多少は役に立つものの握るわけでも無いので取り残しが多くなり、結局は「手抜き」しかなく手抜きは出来ない作業なのだった。
 クワや長柄の貝掘り熊手が活躍するのは水域に盛り集めた抜去体を引きずる時に役立ってくれる、という事だ。抱えて運ぶ訳にはいかない代物だから鍬を打ち込み引きずる事で水域から排除できる。

 長らく「分蘖」を「ぶんけつ」と言っていた。少年時代からの言い方なので親がそういっていたかどうかまでは記憶にないけれど、まあ、「分蘖」という用語そのものが日常会話に出てくる単語でもない以上、修正するまでには幾多の時間と機会が必要だったのだろう。

 泥水池2の抜去除草は最初の日はカメラを忘れ、スマホだと縦横対比が不快なので撮影せず事後の写真だけになった。手前、倒れているミゾハギは水域内から抜去したもので、これはミソハギの無い法面へ移植する。
 水域内にミソハギがあるとキシュウズズメノヒエ抜去の妨げにもなるし、これがキシュウズズメノヒエの席巻を許す一因にもなるのだ。このイネ科の植物、長らく「一年草」とばかり思っていたのだが「多年草」だった。そうなると根まで除かないと駆除は難しくなり苦慮しなければならない羽目になる。既に羽目になっておる…。

 泥水池3もキシュウズズメノヒエが覆ってきた。これが繁茂すると水面が隠れてトンボの飛翔が極端に無くなる。抜去搬出すれば「待ってました!」とばかりオスが集まってくる。拙者としてはメスが集まって欲しい。池の中央に立てば「大奥状態」に思えるだろう。「苦しゅうない、もそっと近こう近こう!」なんてね大妄想大暴走、とまあ、下衆の考え、勘繰らなくてもわかる、てなもんや三度笠。

       抜去前 ➡   一日目は北側半分 ➡   二日目で終了