人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ライナー・ベルナー・ファスビンダ―監督「13回の新月のある年に」「第三世代」を観る ~ マーラー「アダージェット」、ベートーヴェン「大フーガ」、モーツアルト「ピアノ協奏曲K.488」が流れる

2019年04月02日 07時21分19秒 | 日記

2日(火)。わが家に来てから今日で1642日目を迎え、菅義偉官房長官は1日午前11時40分ごろ首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表したが、典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」で、日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる、という新聞報道を見て感想を述べるモコタロです

 

     

       国書に由来する元号はこれまでに 例は ないそうだ 菅氏は令和おじさんと呼ばれる 

 

         

 

昨日、夕食に「塩だれ豚丼」と「鮭と白菜とシメジのプチ鍋」を作りました 「塩だれ~」は長ネギを使いますが、それにニラを加えたら一層美味しくなりました

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督映画「13回の新月のある年に」と「第三世代」の2本立てを観ました

 

     

 

「13回の新月のある年に」はライナー・ベルナー・ファスビンダー監督・製作・原案・脚本・撮影による1978年西ドイツ映画(124分)です

男性から女性に性転換したエルビラ(フォルカー・シュペングラー)は、過去に女性と結婚し娘もいるが、男装して男娼を買うような曖昧な性を生きていた そんなある日、一緒に暮らす男クリストフが喧嘩の末に家を出て行ってしまう。絶望したエルビラは仲の良い娼婦ツォラ(イングリット・カーフェン)に支えられ、修道院にいる育ての親シスター・グルドンのもとを訪れ、自らの出自を聞く 髪を短く切り男装して妻や娘にも会い、過去を振り返ろうとするエルビラだったが、昔の自分に戻れないと言う現実を突きつけられるだけだった エルビラは、自分が性転換するきっかけとなった男アントン(ゴットフリート・ヨーン)に会いに行くが、彼にも失望し行き場をなくす

 

     

 

この映画の冒頭に流れる音楽は、グスタフ・マーラーの「交響曲第5番」の第4楽章「アダージェット」です ハープと弦楽合奏だけによる ひたすら美しい音楽です。この曲はルキノ・ヴィスコンティが1971年に制作した「ベニス死す」でテーマ音楽のように使われていました  この「13回の新月のある年に」は性的マイノリティを主人公としていますが、「ベニスに死す」は静養のためベニスを訪れた老作曲家アッシェンバッハが、ポーランド貴族の美少年タジオに理想の美を見い出すというストーリーです その意味では、主人公の性癖が若干似ているようにも思えます。ファスビンダー監督はヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」を意識してマーラーの「アダージェット」を使ったと想像しますが、どうだろうか

また、エルビラがツォラに付き添われて、育ての親シスター・グルドンに会いに修道院を訪れ、シスターから自分の少年時代の不幸な出来事を聞かされるシーンでは、ベートーヴェンの「大フーガ  変ロ長調作品133」が衝撃的に鳴り響きます この曲は、当初「弦楽四重奏曲第13番変ホ長調作品130」の終楽章(第6楽章)として書かれましたが、当時の聴衆にとっては難解で 友人たちの忠告もあったため 短い軽快なフィナーレが新たに作曲され 第6楽章に置かれました   近年においては、作曲家の当初の意思を尊重して原典版で演奏されることが多くなっています   この映画における「大フーガ」の使用は、これほど相応しい選曲もないだろうと思うほどエルビラの心情にピッタリの音楽でした

 

         

 

「第三世代」はライナー・ベルナー・ファスビンダー監督・製作・脚本・撮影による1979年西ドイツ映画(109分)です

時は1970年代末のベルリン。コンピューター販売の不振に悩む起業家P.J.ルーツは、街でテロ事件が起これば警察が捜査用にコンピューターを導入するのではないかと考え始める 彼の秘書ズザンネ(ハンナ・シグラ)は地下組織のメンバーで、仲間とともにテロを企てていた。決行の合言葉は「意志と表層としての世界」。これは哲学者ショーペンハウエルの著書のタイトルだが、テロリストたちは思想や理念を持たず ただ目先のスリルだけを追求し、ルーツを誘拐する しかし、テロリストのリーダーとルーツはグルで、テロリストたちは企業や権力に利用されているに過ぎないのだった


     


この映画はファスビンダー監督が、思想も信条もなく ただスリルだけを追い求める「第三世代」のテロリストたちを描いた作品です   私がこの映画を観たいと思ったのは、同監督の映画「マリア・ブラウンの結婚」の主役を務めたハンナ・シグラが出演しているからです

この映画は冒頭から終わりまで、ラジオやテレビなどの音声が常に鳴り続けていて騒々しいほどです 冒頭のシーンではモーツアルトの「ピアノ協奏曲第23番K.488」の第2楽章「アダージョ」が流れますが、心臓の鼓動のような機械音に打ち消されて次第にフェードアウトしていってしまいます

映画の方は、ストーリーはあるものの、最初から最後まで騒々しいばかりで、いったいファスビンダー監督が何を言いたいのかがよく分からなかったというのが本音です

舞台となった1970年代末には、40年後にコンピューターがこれほど普及し インターネット情報網が世界中に構築されるとは想像も出来なかっただろうな、と思いました

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