29日(火)。昨夕、記者クラブ会員総会・懇親会があったので出席しました 懇親会の冒頭、今年度の日本記者クラブ賞の贈賞式があり、本賞として「三陸被災者ルポ」の毎日新聞・萩尾記者が、特別賞として福島第一原発水素爆発の瞬間を撮影した福島中央テレビ報道制作局と、手書きの壁新聞を発行した石巻日日(ひび)新聞がそれぞれ受賞しました 授賞に当たってクラブ理事長があいさつで述べたとおり,3者の受賞に共通しているのは「現場を重視する報道への原点がえり」です.3者とも現場に居なければできなかった報道です このうち石巻日日新聞は、昨年3.11の東日本大震災を受けて輪転機が使用不要となる中、3月12日から6日間、手書きの壁新聞を発行して、被災者に身近な震災の状況を伝えました。当ビル1階ホールでも昨年5月下旬に壁新聞現物を展示し来館者にご覧いただきました。初日の12日付の壁新聞は現在、米ワシントンンのニュースの総合博物館「ニュージアム」に”歴史的な新聞”として展示されています
懇親会では約1時間ほどビール ワイン を飲みながら懇談して,S監査役,E部長と地下のOに移りました.するとS建設の巨漢F氏とS冷熱の某氏が飲んでいたのでジョインしました.底なしのF氏が酎ハイを飲んでいて日本酒を飲まなかったにも関わらず,途中からS冷熱の営業担当者が加わったこともあって,1升瓶があっという間に空いてしまったので,新しい「きりんざん」をキープして飲みました いつものようにバカ言って飲んでいたので何時に解散したのかまったく覚えていません
閑話休題
昨日の朝日朝刊第1面に「吉田秀和さん死去 98歳 音楽批評を確立」という記事が載りました 音楽評論家の死亡記事が全国紙の第1面を飾るのは極めて異例のことです 彼の死は日本のクラシック音楽界の中で、それほど大きなニュース・バリューがあるという証左です。記事は次のように書いています。
「日本で初めて本格的なクラシック音楽批評の方法を確立した音楽評論家で、文化勲章受章者の吉田秀和さんが、22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。98歳だった。1971年から本紙文化面の「音楽展望」の執筆を続けてきた。東京都生まれ。東京帝国大学仏文科卒業後、雑誌に連載した「モーツアルト」で評論活動を開始。技術論や人間論に偏した先行世代の批評に反発し、芸術独自の立場から音楽をとらえる「自立した音楽批評」を生み出した。美術、演劇、文学など幅広い知識に裏打ちされた魅力的な表現で支持を得、音楽界に多大な影響力を持った」
主にLPからCDの時代にかけてクラシック音楽を聴いてきたわれわれの世代にとって、吉田秀和氏の音楽評論は、ある意味”バイブル”的な存在でした 朝日の「音楽展望」は、時にまったく音楽とは関係ないテーマを取り上げ「何が音楽展望だ!」と反発を覚えたことを覚えています
彼の評論の中で忘れられない表現があります 今から20年以上前のことだったと思いますが、ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンに入れたモーツアルトの「ディヴェルティメント第15番K.287」のアダージョを評して「脂ののったビーフステーキのような”演奏と書いたのです
まさにぴったりの表現でした。あっさりしているのではなく、分厚いステーキのような重みのあるこってりした演奏だったのです ”抽象的な事象を誰にも分かりやすい言葉で表現すること”こそ評論家の役割ではないかと思っている私は、これほど簡潔で的を得た表現に出会ったことがありませんでした こういう表現方法こそ私の目標だと言っても過言ではありません
吉田秀和氏は,私にとって、クラシック音楽(とくにモーツアルト)を聴く上で神様のような存在だった小林秀雄氏に次いで最も頼りとする評論家でした。謹んで故人の冥福をお祈りします
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