12日(水)。わが家に来てから今日で2831日目を迎え、10月7日のロシアのプーチン大統領の70歳の誕生日に中国の習近平国家主席が祝電を送らなかったのではないか、との観測が流れている というニュースを見て感想を述べるモコタロです
祝電送ると プーチンとプーさんで仲良しこよしと見られるから 警戒してんじゃね
昨日、夕食に「長芋とエリンギと豚肉の炒めもの」「生野菜とアボカドのサラダ」「もやしの味噌汁」を作りました 「長芋~」は新聞の「ごはんラボ」に掲載されていたレシピにより初めて作りました
昨日、早稲田松竹で濱口竜介監督による2008年製作映画「PASSION」(115分)を観ました これは濱口監督が東京藝大大学院映像研究科の修了制作として監督した作品です
30歳を目前にした大学時代の同級生5人が久しぶりにレストランに集まります 毅(渋川清彦)と妊娠中の鞠江夫婦と賢一郎(岡部尚)の前で、智也(岡本竜汰)と果歩(河井青葉)が結婚を発表します 歓談中に貴子(占部房子)から健一郎に電話がかかってきて、男3人で貴子を訪ねることになります 3人の男と貴子の会話から分かるのは、智也は果歩を心から愛しているわけではなく 貴子と過去に関係を持っていたことがあり 今でも貴子が忘れられないこと、賢一郎は果歩が好きだが相手にされていない、ということです ここから3人の男と2人の女を巡る複雑な愛憎劇が展開していきます
この映画を観て感じるのは、濱口監督は学生時代から「長回し」と「会話劇」で映画を撮っているな、ということです 果歩は高校の数学の教師で担任も持っていますが、ホームルームでの生徒たちとの会話、というよりバトルが強烈です クラスの一人の男子生徒がいじめによって自殺したことから、果歩は「暴力」について生徒たちに持論を訴えます 果歩は「暴力には言葉による暴力と肉体的な暴力がある。外(他者)からの暴力を止める手段はないが、内(自分)からの暴力は自分の意思で止めることが出来る。暴力の連鎖を防ぐには、暴力を受け入れて相手を赦すしかない」と主張しますが、生徒たちからは、「自分が殺されるかもしれない時は暴力で対抗せざるを得ない」と反論が出ます 果歩は「暴力を止めるための行為も暴力である。暴力に対し暴力で対抗する限り、この世から暴力はなくならない。暴力を受けたら自分がそれを受け入れて相手を赦すしかない」と説得します しかし、ある生徒が「さっきトイレで〇〇君(前の席の生徒)を殴りました。相手は誰でも良かった。理由なんて特になかった。誰かを殴りたい気持ちを抑えることが出来なかった 先生、僕は赦されますね」と発言したことから、果歩は絶句し、気分を悪くし体調を崩してしまいます
果歩は、智也が心の底から自分を愛していないことをうっすらと分かっていて、それを言葉に出来ない「暴力」と感じていたことから、現状を受け入れるしかないと自分自身に言い聞かせていたのではないか、と思います
この映画のタイトル「PASSION」は「熱情」「情欲」の意味で使われているようですが、私は「MATTHEW PASSION」(マタイ受難曲)と同じ意味に捉え、登場人物6人それぞれの「受難の物語」と解釈しました