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カメラ修理などについてご紹介します。
富塚孝一
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Nicca 3-Fのメンテナンスの巻

2018年02月12日 15時29分42秒 | ブログ

ガチャポンやった。ホンダ・モンキーは惜しくも生産終了となりましたね。排気ガスが基準に適合しないとか。いつかは手に入れたいと思っていたのですけどね。私の欲しかったのは1967年式のZ50M。シートがチェック柄のやつね。それか1969年式のZ50Aぐらいまでが、良い頃のモンキーと思います。イオンのガチャポンにモンキーがあるのを見つけて300円投入。種類は兄弟のゴリラも含めて5種類ありますが、一番オーソドックスなノーマル仕様が欲しいと思ったら、めでたく出ましたよ。赤城といい、勝率は高いです。

 

2003年式のZ50Jらしいです。ヨシムラのマフラーを付けた改造タイプもあるようです。

 

出来は、あまり良いとは言えませんね。製作はプラモデルメーカーのアオシマ文化教材社で、このメーカーはクルマやバイクのプラモデルを得意としていますが、食玩ものもやっているんですね。http://amzn.to/2CddkZ8

 

でと、腕時計の方でご常連さんがニッカの3-Fを手に入れて来ましたよ。外観も非常にきれいですね。シャッターダイヤルがグラグラで制御できませんしファインダーは曇っています。しかし、シャッターは低速まで快調に切れて幕もきれいです。

 

ファインダーの清掃や注油などをして行きます。バルナックライカを模していますが、内部はいろいろと異なっていますね。

 

シンクロターミナルは緩み止めのイモネジを緩めてゴムで回して分離します。

 

 

接眼枠を外します。レンズが脱落してくるので注意をします。

 

 

レンジファインダーのレンズと対物レンズ。このあたりはライカと同じですね。

 

 

これだけの部品を分離しないとトップカバーは外れませんね。

 

 

距離計のプリズムなどはきれいのようです。ハーフミラーは蒸着面は触らない方が良さそうです。

 

プリズムを分離しました。レンズの内側を清掃していきます。

 

 

裏側のメッキの掛かり方がライカとは全然違いますね。母材の真鍮が露出しています。ライカでしたら、ニッケルの下に銅メッキが厚く掛かっています。どうも銅メッキは掛かっていないようです。

 

底部の様子。基本的なレイアウトはライカに似ていますが、完全なコピーではありませんね。1stカーテンカムやブレーキの状態。

 

底蓋も比較的きれいです。あまり使われていないようです。

 

 

シャッター幕の状態は非常に良いですね。過去に交換されているのでしょう。レンズマウントにもすり傷やメッキの剥離が無く、純正レンズを取り付けたままだったようです。レンズはニッコール-H・C 50mm 1:2 こちらも使用された形跡はあまりありませんね。ft表示なので里帰り機なのでしょうか。

距離計の調整をしますが、調整ネジが固着していて動きませんでした。何とか調整完了。

 

縦ズレを調整します。

 

 

ニッカ 3-Fの発売は1956年(昭和31年)とのことですから、時代を考慮するときれいな個体ですね。第二次世界大戦勃発によりライカの輸入が困難となって、日本でも軍の指示によりライカコピーを製造したのがニッカの前身「光学精機」とのことですね。しかし、アメリカやイギリスの連合国側でもライカコピーが作られたとのことで、軍用として、どれだけライカが優れていたということですね。イ号潜水艦による遣独潜水艦作戦では、ドイツにゴム、錫、モリブデンなどの戦争遂行用資源を渡し、ドイツからはレーダー技術やジェットエンジンなどの新兵器技術がもたらされたのですが、ライカなどは供与されなかったのかな? そうそう、三式戦闘機「飛燕」の一部に装備されたエリコン 20mm機関砲などもそうでしたね。モーターによって不発弾を自動排出、自動装てんする機構と命中精度、破壊力は、国産の20mmより優れていましたが、結局、後の供給が無く消耗して終わりましたけどね。日本から自信満々で持って行った酸素魚雷などは、ドイツではすでに誘導技術に関心が移っていて、見向きもされなかったようです。大戦初期に進出した上海や台湾には、ヨーロッパの品物が豊富にあって、ライカなども容易に手に入れることは出来たようですけどね。

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