にゃんこな日々

ネコ風ライフをつらつらと・・・

実は・・・買っちゃいました。

2005年11月29日 | Weblog
告白しようかどうしようかと迷っていたのですが・・・(笑)
買ってしまったんですよねぇ。iPod nano
ちょっといろいろと嫌なことあったもんで、自分への戒めに言葉を入れてみた。「Tomorrow is another day!」私の好きな『風と共に去りぬ』のスカーレットのラストシーンでのセリフです。
今日は今日、明日は明日。「明日は明日の風が吹く」名訳ですよね(笑)。

しかし、これいいわ。軽いし、音楽の取り込みもすごく楽だし、使い勝手もいいし。
え?あんた前になんか持ってただろ?って?・・・アハハ!持ってましたよ!今でも健在ですよ!でも使い勝手悪いんだもん!音楽の取り込み面倒だし。でもちゃんとあちらはあちらで使いますよ。ギター練習の録音用にね。

さて・・・今年も残すところあと1ヶ月とちょっと、108の除夜の鐘と共に煩悩ならぬ物欲を払い落とすように精進しましょうかねぇ。

『流星ワゴン』

2005年11月27日 | BOOK
リストラ、そして家庭崩壊。すべてが嫌になりもう死んでしまってもいいかなと感じている38歳の主人公。最終電車の出たあとの駅のロータリーで佇む彼の前に一台の赤いオデッセイが停まる。その車には5年前に事故死した父子が乗っていた。そして彼は自分の人生の何度かあった分岐点、大事な場所へと連れて行かれ、そこで自分と同じ年の父親と出会う。

3組の父と子の物語。何がどこでどう間違えたのかもわからずに過ごしていた主人公が、やり直しの効かない人生を目の当たりにしながら、導き出すひとつの答え。
もうすっかり老いの境地か(笑)、とにかくやたらと涙もろくなっている私はラストは涙なくしては読めなかった。

この物語を読んでふと感じたことが・・・。父と子は互いに理解しあうことで蟠りを消していく、しかし唯一登場する主人公の妻という女性に対しては許すことで、主人公は自分の心を納得させる。いや、だからと言って女性の描き方に腹を立ているわけじゃないんです。この作者は男性だけど、きっと女性はそういう生き物なんだろうな・・・と感じたんですよね。私はどこをどう考えたってこの妻は許せない。理解出来ない。「どうしようもないの」そんなバカなことがあるかよ!と考える私には、無理なんですよね。
え?一体何を言い出したんだって? いや実は私は自分の母親が嫌いで仕方がない。昔はどうってことなかったんですけどね。というよりまともに接しなかったから、嫌いかどうかなんてこと考えなかったんでしょう。もう年で自分の前に母親という存在が明らかになった頃からどう考えても私はこの人嫌いだって思うようになってしまって・・・(^^;)。実は父親のことも嫌いだったんですよ。でも早くに亡くなったせいなのか、嫌いという感情は今ではすっかり消えている。思い出すのはこの物語の登場人物のチュウさんのような、朋輩的な感情を伴なう出来事の数々。女は損だわ(笑)。同性から嫌われてしまうとどうあがいても修復できないんんじゃないだろうか?理解するのではなく許さなければいけないのだろうか?
こういう親子の愛という物語を読むといつも自分のことを顧みる。私には子供がいないから、いつまでも子供の立場なんだけど、親に愛されなかった子供は特に、親とはこういうものだという理想をどんどん高くしていくんでしょうね。(^^;)

やり直しの効かない人生。許す心を持てば、少しは生きやすくなるのかもしれません。

『歌わせたい男たち』

2005年11月24日 | STAGE
『歌わせたい男たち』
舞台は卒業式2時間前の都立高校の保健室。卒業式でのピアノ伴奏の重責を担う元シャンソン歌手の音楽講師。何としても『君が代』の全員起立、全員斉唱を願う校長。たった一人でも不起立、不斉唱を貫こうとする社会科教師拝島。決まりごとは決まりごとなんだと妄信する英語教師片桐。そういうことには興味はないけどどこか片桐に興味があるようで片桐に賛同する養護教師。卒業式での『君が代』を巡るそれぞれの思惑。
実際に起こっている現場でのドタバタが見事にシニカルにコメディ化されている。
面白い。とは言っても喜劇のワハハ!って感じの面白さじゃないんですよね。いや、確かに笑える。大笑い出来る。だけどもどっか笑えない。すごい作品です。仕事途中でトンズラして観に行った甲斐がありましたよ(笑)。校長役の大谷亮介さんがうまい!いい人なんだけど、今のこの展開じゃこうしなきゃ仕方ないのよ!という立場でどうにか自分も他人もみんなごまかしちまえ!という必死さが笑えるんだけども笑っちゃいられないだろう?というこの作品の味を醸し出している。私がご贔屓の近藤芳正さんは、もう文句なしでしたし、近藤さんの歌う『暗い日曜日』が聴けるとは思いもよらず、特した気分です。


で、この作品笑うに笑えなかった問題。パンフレットに記載された漫画家の石坂啓さんと脚本家永井愛さんの対談と、「日の丸・君が代」をめぐる年表を読んで、余計にこの作品の笑えない問題が私の中でクローズアップされた。
私が小・中・高校生だった頃は今ほど、「君が代」斉唱が絶対的ではないけど流されていて、日の丸は普通に掲揚されていた。その当時はだからそれがいいとか悪いとか全く意識しないでいたのですが、なぜか「君が代」だけは斉唱したことがないんですよね。(^^;) 生まれてこのかた「君が代」を歌ったことがあるのはしりとり歌合戦をしていて「き」が当たってこれしか浮かばなかったときだけ(笑)。だって私は「君が代」の歌詞は「この世は天皇陛下の世でそれが代々続けばいい」という意味だって教えられましたもん。誰に教えられたのかは全然覚えてないんですけどね。だったらそんなもん今歌っちゃいかんだろう。そんなもん歌うなんて真っ平ごめんだね。と小学校の3年か4年のときには思っていたように思います。これはきっと天皇の存在を否定していた父親の影響だと思うのですが・・・。考えると不思議な親父です。ただの電気工事請負業のおっさんだったんですけどねぇ。ま、そんなことはともかく・・・。私がそう教えられた意味は間違いなく、パンフレットの年表によると1941年の国定教科書に「君が代」の歌詞は「天皇のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますように」と説明されているそうです。これ歌えって・・・ねぇ。歌えねぇだろ・・・。そしてこれを歌わない教師、生徒に歌わせない教師が処分される・・・。これは間違いなくこの国、日本で起こってることなんですよね。なんでも教師だけじゃなく、生徒の内申にも影響するらしいですよ。笑えるけども笑えない・・・。みんな一体どこに行きたいんでしょうかね?

東京の方は2005年12月6日(火)19:00開演(18:30開場)亀戸・カメリアホールで追加公演があるそうですので、まだチケット大丈夫かどうかはわからないんですが、ぜひともご覧になっていただきたい作品です。


『孤宿の人』

2005年11月22日 | BOOK
舞台は讃岐 丸海藩。生まれたときから誰からも愛されず、犬猫のように扱われ、名前も阿呆のほうだと付けられて育った10歳の少女ほう。無理やりに出された四国金毘羅さま参りの途中一緒にいた女中に置き去りにされ、丸海藩の藩医井上家に引き取られたことで読み書きを教えてもらい、無理のない仕事を任され、初めて人の優しさに触れ幸せな時を過ごすことが出来たほう。しかしその幸せは井上家の娘琴江が毒殺されたことで崩れていく。そして幕府からの罪人、元勘定奉行の加賀殿を預かることになった丸海藩の存亡に関わるため琴江の死は病死として片付けられる。それは加賀殿に絡み次々と丸海藩を襲う事件の前兆だった。

読み始めたとき私は思わず『おしん』のような話しなのかと思ってしまった。ところが話しはどんどん複雑になっていく。丸海藩士たち。領民たち。それぞれの思いの中で、それぞれの目の前で起こる事件騒動。そしてそこに絡んでいく純真無垢なほう。
人の心にある善と悪、強さと弱さ、明るさと悲しさ。人それぞれの生き方を通してここでもまた宮部さん独自の人間賛歌が描かれているような気がする。全編通して悲しいお話で、救いようがない・・・と感じる人もいるかもしれません。私自身、あまりにも理不尽な流れに絶句してしまいました。あまりにもたくさんの人が死にすぎる。でも、ふと思ったのですが、これってもしかしたら戦時中の日本の状況とだぶるかもしれません。どこかにそれに対する警鐘が入っているのかもしれません。私が深読みしすぎかな・・・。もうこの作品は涙なくしては読めませんよ。しかしラストはほうの明るさ純真さに救われます。これはぜひともNHKの連ドラあたりでやっていただきたいですよ。映画はダメ。これは切っちゃダメです。コツコツときっちりとドラマ化していただきたい。この作品は文庫化されたら絶対に私買います。もう一度泣きたいです。

ホステス猫健在

2005年11月21日 | Weblog
以前、紹介した友人の店の人気ホステスのニャーちゃん。体重が2.8キロとうちのとめ吉の肉を思いっきりおすそ分けしたいくらいにやせちゃってますが、まだ元気にホステス業を勤めておられました。
なんとか元気に年を越してもらいたいものです。
そうそう・・・ふと見るとこのニャーちゃん、カウンターの中に置いてある伝票の上で丸くなってた。もしかして爪でこっそり正の字書き足してたりしない?と訊ねるも無視されてしまったのですが、ここまでお世話になってるお店のことですから、案外こっそり書き足してくれてるのかもしれません(笑)。

ゲキ×シネ『SHIROH』

2005年11月16日 | MOVIE
ゲキ×シネってなんぞや?という人のために・・・。
舞台の映像を映画館で観るってやつなんですが、映像に処理するにあたり映像ならではの加工もされてるんですよね。
で、それ観てきました。面白かったぁ~。しかし夜7時10分からの3時間15分はちょっときつい。(^^;) インターミッション入ったから終わったの11時ですからねぇ、さすがに翌日は少し眠かった。
ロックミュージカルということなんですが、なんだかミュージカルより歌が多かったような気がする(笑)。セリフのほとんどが歌なんですから。でも、ちょっとそんなに無理に歌わせなくても・・・って気は少しした。特に江守徹さんのシーンは・・・以下自粛(笑)。
ただこの作品観に行ってすご~く気になったことが・・・。私はどちらかというと映画のノリで行ったんですけど、どうも妙に客層が普通の映画作品とは違う。(^^;) 年齢層は思ってたより高めだし、「あら~、○○さんも来てたのぉ~」「あら~、お久しぶりねぇ~」みたいななんだか不思議な小団体が出来上がってた。何?何なのこれ?もしかしてこれがお芝居を観てる人たちのノリなの?ファンクラブ?実際に舞台観に行きたいけど、1人で行ったらかなり浮いちゃうんだろうなぁ。(^^;)
そうそう・・・これから舞台観に行こうと思ってるので、いろいろ勉強しとかなくっちゃ・・・ということでみつけたのがココ2チャンネルの掲示板なんだけど、なんか映画館でのマナーよりひどいよ。映画より高いのにこんなことになったら最悪でしょうねぇ。


『世界の中心で、愛をさけぶ』

2005年11月14日 | Weblog
なんで今頃?って思われるかもしれませんが、これはWOWOWで放映されてた舞台版のお話。ネタばれありますよん。


何もわざわざ舞台にしなくても・・・って感じだったのですが、友人から録画を頼まれていたので、とりあえず私も観てみようと観賞したのですがね。
舞台版は亜紀と朔太郎が出会い過ごした高校時代だけが描かれている。そして二人の出会ったきっかけや、二人の過ごす時間は映画とはかなり違うものとなっていて、映画では二人に絡むのはほとんど写真館のおやじさんだけだったんですが、こちらでは同級生たち、そして二人の先生と朔太郎の祖父。さながら青春ドラマの装いです。
前半は舞台ならではの面白さはあったけど、物語としては映画の方がいいかな・・・って気になりながら観賞してました。ところが中盤から後半がすごくいい!映画では健気に病気と闘う亜紀とそれを支える・・・というか見守る朔太郎という形でそれほど目の前に置かれた死というものに対する葛藤が深くは描かれていなかった気がするのですが、舞台版はそれがすごく深く描かれている。しかも亜紀の死の前にもうひとつとんでもない死があるんですよ。これにはマジ驚きました。さすがにこの展開は読めなかった。そしてその死がすごく重要に物語に食い込んでいて、愛する者の死に直面した辛さ、せつなさ、苦しさを描くことで、これからそれを受け入れなければならない。愛する者の生と死の両方を背負ってしまった朔太郎の苦悩が痛いほど伝わってくる。誰にでも必ず訪れる死ですが、自分の死を受け入れる用意は若くても多分それなりに出来るんじゃないかと思うんですよね。ところが愛する人の死を受け入れる用意って、そうそう出来るもんじゃないのかもしれません。これは死んでしまったあとではなく、病気等であと何年とか、半年とか余命の宣言された場合ね。今日、明日、明後日と日々を数えることは私には出来ないかも・・・。でもその日々を一緒に数えてこそ愛なのかもしれませんね。
そしてラストの亜紀が最期に残したテープがいいんですよ。「元気ですか?ご飯食べてますか?」のような普通の質問が流れる。そして「サクはこの質問全部に答えることができるんだよ」と続くんですよ。これにはやられました。お涙頂戴的な最期のテープではないのが余計にウルウルきちゃいましたね。
私は映画版よりこちらの舞台版の方が好きかも。

ラジコンマウス

2005年11月10日 | Weblog
これ、猫のおもちゃだそうです。ラジコンカーのマウス版。リモコンでマウスが走ります。前進、後進、回転だってしちゃいます。で・・・それを追って猫さまが走るわけですな。え?買ったのかって?まさか・・・いくらおもちゃ好きの私でも買いはしませんよ。会社の同僚が買ったのですが、面白いから貸してあげる。ということで本日持って帰ってきました。
これ追っかけてる猫たちよりも、飼い主の方がムキになります(笑)。ピーコはすぐに飽きちゃったのですが、とめ吉は気に入ったらしくドタドタと追いかけておりましたが、残念なことに充電がすぐ切れちゃって、そんなに長い時間遊べないんですよね。それに前後左右のボタンがついているだけだから、思うところには動かせないんで、すぐにとめ吉につかまっちゃいました。おかげで止まったマウスをくわえてとめ吉は遁走。さすがに借り物なのでつぶしちゃいかんってことで、今度は私がマウスをくわえたとめ吉を追っかけるというなんとも情けない光景になっちまいました。(^^;)

ツボは花瓶にも骨壷にもなるよ

2005年11月06日 | Weblog
ってのが私が最期につぶやく言葉だそうです(笑)。
で、死因は「走りすぎ、過呼吸をこじらせ、死亡」だって。なんかコレいいかも。
興味を示された方はあなたがつぶやく最期の言葉へ行ってやってみてください。
なんか最近ねぇ、いろいろと考えることが多くて・・・。でもなんかこの占いやったらすっきりしましたよ(笑)。「グダグダ考えたって仕方ねぇ!」ってのは自分のスタンスだと思いやってきたつもりだったのですが、やはり達観するには人間出来てないもんでしてね。あ~すれば、こ~なって、こ~すれば、あ~なって・・・とまぁ、グダグダとやっちゃってたんですよねぇ。「走りすぎ、過呼吸をこじらせ、死亡」いいじゃないですか。ぜひともこういう死に方したいもんです。もういっそのこと走りすぎて、死んじゃったことも知らずにそのまんまず~っと走り続けてるってのもいいんじゃないですかね(笑)。
「あそこの家、幽霊出るらしんだけど、ドタバタと走りまわって落ち着かない幽霊らしいよ」なんてね。

あ・・・それと私のラッキーワードは「長いものには巻かれたフリをしろ」だって。これもいいですよねぇ。これから私はそうします(笑)。