コピーライターの岩崎俊一さんが娘さんの幼き日について書いている。ある日、娘さんがキャスター付きの椅子にまたがって、モップを手にゴロゴロと動いていた▼「何してんの」と不思議がる家族の問いかけに「私は旅人。どうか私を引きとめないでください」。持っていたショルダーバッグに誰かが手を伸ばすと「ああこれこれ、旅人の大切な食事に何をなさいますか」。そうおすまし顔で注意したという(『大人の迷子たち』広済堂出版)▼何度読んでも声を上げて笑う。お子さんのいるご家庭ならば、こうした自然と顔がほころぶ逸話を宝箱にしまっているだろう▼岩崎さんはその後、家庭用ビデオの広告にこんなコピーを思い付いた。「この子の3歳は、たったの1年」。三歳とは、たった一年しかないと惜しがるほど、子にも親にも笑いと優しさがあふれる特別な時間である▼同じ三歳である。されど、その記事は何度読んでも痛みしか残らぬ。東京都大田区で三歳の男の子があざだらけの姿で亡くなった。母親の交際相手だった男から虐待を受けた。与えられたのは三歳にふさわしい幸せな空気ではなく、暴力、恐怖。そして死である▼三歳の一年は奪われ、四歳の一年も五歳の一年も訪れぬ。虐待根絶に真剣に取り組みたい。すべての三歳にまともな一年を用意できないのならば、この国は平和でも豊かでもない。