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今日の筆洗

2016年01月15日 | Weblog

 初代は伝説の爆笑王、二代目はその死をもって「上方落語は滅んだ」と評された名人。それほど重い「春団治」の看板を二十代で継いだのが、三代目桂春団治さんだ▼そのころ、酒席で桂米朝さんと口論になったという。大名跡を背負っていくには持ちネタが少なすぎないかと米朝さんに言われ、春団治さんは腹を立てた。だが翌朝、目覚めた米朝さんの前には、正座し頭を下げる春団治さんの姿があった▼年齢は米朝さんより下だが、噺(はなし)家としては先輩。普段は「米朝くん」と呼ぶ友に礼を尽くし教えを請う姿に胸を打たれた米朝さんは十八番の「代書屋」を伝授し、自ら演じることを封印したという(戸田学著『上方落語の戦後史』)▼名人二人の稽古に居合わせたことがある桂福団治さんが、その様子を活写している。<天下の三代目春団治が、扇子を前に置いて、「よろしくお願いいたします」と、きっちり挨拶(あいさつ)してからお稽古が始まるんです。で、終わったらまたいつもの三代目と米朝師匠の関係に戻りますねん。見ていてほれぼれしましたな>(『青春の上方落語』)▼二代目が逝去したころには滅亡の危機にあった上方落語は、三代目春団治、米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝の「四天王」が互いに磨き合い、弟子を育てることで息を吹き返した▼ほれぼれとさせる芸の余韻を残し、三代目の人生の幕が下りた。