以前ジョギングで通り掛かった際余りに立派なお屋敷に足を止めたのがこちらを知る切っ掛け。企画展開催中以外は閉まっているので、本展を待ったのですが、週末は第4土曜日以外開館しないのを知らないで無駄足を運んだりしました…
さて、
(薀蓄)
斎田家は代田七人衆の一つで、他にはこの間まで世田谷区長を務めた大場家などもあるとか。木曽義仲系統の源氏の流を汲むそうです。世田谷城主吉良家に仕え、北条家滅亡と共に吉良家が滅んだ後は帰農して開拓事業に当たったとか。
「ふるさと 世田谷を語る」という世田谷区制作の書籍には:
代田七人衆は、初めは本村の付近に住んでいましたが、次第に土地を切り拓いて、寛永年間の終わり(1643年)頃には、清水家は大下(字松代)、柳下家は中下(字山下)大場家は中筋に、秋元家と斉田の一家は本村に、さらに斉田の一家は中原に、山田家は大原へと分散した
とあります。
以前紹介した円乗院さんも彼らが1625年創建したんですね。
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さて、最初の写真でお分かりのように、こちらは環七沿いにあります。
でもねえ、ついに開門時の様子を見た後、階段を登っていくと、次第に江戸期から続く屋敷の様子が分かって来ます。
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さて、その記念館に到着しました。
先ずはパンフレットで斎田家の歴史をチェックです。
代田でお茶を作っていた時期があった、とか意外な事実を知りました。
なお、環七から見える大きい白壁の建物ですが、展示室は1階、1室のみ。これは予想外でした…
今回の企画展に話を移すと…
「山笑ふ」という作品がある訳ではありません。
狩野派や堅山南風の山を描いた作品中心の展示。
明治に移って松園さんは人物画でない、意外な干支、ウサちゃんの絵その他が飾られていました。
正直それ程の作品はありませんでしたが、個人コレクションですからねえ、立派かと。
なお、この企画展名は恐らく「季語」、春を指します。
「山笑ふ 海の悲しみ 知らず春」(銀河)という句をネット上で拝見しました…
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