シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

西向天神社/東大久保富士 & 山吹坂

2010-10-02 | 富士/富士見/富士塚

長編、4部作構成となっております。


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新宿、職安通りが最近中野坂上から明治通りを越え、抜弁天まで拡張終了しました。

その明治通りから東側、抜弁天方向に入り、ちょっと行ったところで南側に少し入ったこちらに西向天神社さんがあります。

P8140022

P8140023 さて、この立派な神社、由来は;

古来より東大久保村の鎮守。安貞二年(1228年)栂尾明恵上人の勧請とされる。西向(にしむき)天神とは太宰府の方へ向かい社殿を西向きに造っているために昔から呼び慣らわされた。

とのことです。


でも富士山が…?

これまでの”富士山”は住所情報だけで簡単に発見出来たのですが、今回発見には至らず。結構周りを見たんですけどねえ…

帰宅後、ネットで調べてみると「本殿右側の公園内」という記述を見付けました。

Google衛星写真を見ると、「天神山児童公園」とあります。成程、このこんもりと茂った木々下の何処かに”富士山”があるのでしょう。


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P8140024

P8140025 この神社境内で見付けた閑話休題ネタ。

先ずは歌謡曲、「新宿の女」の顕彰碑です

歌詞と作詞、作曲、歌唱のお三方の名前が在るだけ。何方が作られたものなのか…?

藤圭子さんは宇多田ヒカルのお母さん。何やら宇多田さん、”普通の女性”に戻るために無期限休養とかのニュースが流れていますが、お母さんも引退・復帰を繰り返すうちにスターダムから消えましたから、お気を付けて、と申し上げたく。

次の写真には”成田山”とあります。由来とか全く不明なのですが、ちょっと面白かったので…


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さて、次なる話題に移りましょう

こちらには「山吹坂」に関する新宿区の掲示と写真の遺構があります。

江戸を開いた、と言われる太田道灌に関わる山吹伝説。

モチーフは;

七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき

という有名な歌に掛けて、ある時雨に打たれて困っていた道灌が近くに居た人々に”蓑”を所望した際、年端もいかぬ少女が山吹一輪差し出したのに怒り、後に自分の非学を恥じた、というもの。


************************** (以上 08/2010記)

さあ、復讐戦です^^メ

場所はもう分かっていますから、役立たずのナビに頼る必要もありません 実家からの帰り、所要時間10分でミッション完成です、もし富士山が見付かれば…

Photo_3 さて、新しい”発見”のご紹介。

これは広重さんの手になる西向天神社と東大久保富士の絵。原本の「絵本江戸土産」が出版されたのは1864年ですから江戸末期の姿、となります。

今の東大久保富士の標高は見る影ありませんので、恐らく他の”富士山”同様開発などの煽りを受けて切り崩されたりしたのでしょう。

P8210007 P8210008  

お待たせしました。再訪時の様子です。

今回は前述の広重さんの絵に従って、あっという間に発見です。

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胎内洞もお約束のようにちゃんと発見、いよいよ登山道に入ります。

あ、ここ今は多分基本的に入山禁止では。結構足元も悪く、かなり体力が無いと登山はお止めになった方が…

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これで東大久保富士山頂です。

様々な先達たちの思いの篭った石碑が見られます。

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最後は神社境内から見た富士の様子。

素晴らしい構造物でした^^


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備忘録: 東大久保富士: 歌舞伎町稲荷鬼王神社内

      成子富士:七福神巡り: 1/1~1/7 の際登頂可

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