ご紹介にあずかりました文科2類の藤田郁です。萩原に「ヨット部唯一の金髪でボケたがり」と紹介されてしまいました。ボケたがり、という言葉にどこか引っかかりを覚えます。普段あんな雑なボケをかましておいて、実は繊細な部分もあるんだぞということをここで任意の方にお伝えしておきます。それになんなら今日髪を染め直してきました。今は「ヨット部唯一のブルーグリーン髪でボケてみんなを笑わせようとしてくれるいくちゃん」が正解です。
さて、前置きが長くなってしまいました。出身は女子学院で、卓球と落研(落語研究)を兼部していました。落研では「まっ亭ダーリン」という亭号を与えられ、ミーハーにかっちょいい先輩(女)を追いかけ回す日々でした(盛った)。しかし高3のハロウィンで一休さんの仮装をしようと思い立ち、ハゲかつらをつけるべく長かった髪を断髪し、イケメン路線に転向するかと思いきや、「髪切った理由がバカすぎる」と友人に一蹴され、それでいて「今の方がいい」「なんで早くショートにしなかった」などと中高5年半、いや、18年間の私を全否定されつつあの学び舎から巣立ちました。
大学では最初、イケメンキャラを狙って弓術部に入る予定でした。袴がかっこよかったので。しかし出会い厨であった私は色々なサークル・部活に行こうと心に決めており、女ラク、ボートなどもいいなぁと心が揺れ始め、朝7時から女ラク、空きコマで弓術、放課後にボートというハードスケジュールを送ったりなどしました(もちろんそういう日の授業はグッスリでした)。そんな中、ヨットにも当然乗りたいと思い、葉山の試乗会へ行ったところ、そこでスピンを張って堂々と荒波の中を進む470や、上下に激しく揺れるレスキュー艇に強く興奮し、気が付いたらヨット部に気持ちが傾いていた、という次第です。
人生いったい何が起こるか、分かったもんじゃありませんね。私の父親はLBですが、私はヨット部を勧められてもいなければ、何かヨット的素地があるわけでもありません。まあ父親がヨット部だったというのがサーオリに足を運んだ動機かもしれませんが。ヨット部入部は自分で決めたことではありますが、結局父親の敷いたレールの上を歩いてしまっているようです。なんか悔しいのでこのヨット部で、私の寒いギャグも優しく受け流してくれる(受け止めてはくれない)温かい素敵な同期たちと、レールを一歩踏み出し、立ちはだかる壁を乗り越えて、何か一つ大きいことを成し遂げてやりたいです。もんじゃだけに。
・・・次は五月祭打ち上げ会場のもんじゃ屋さんで下ネタを連発していた古山君です(逃)