本丸大芝生に出たところで左手奥の茂みの中に入って行くと見えて来るのが『富士見櫓』
明暦の大火で焼失後1659年(万治2)に再建された江戸城で現存する最も古い建造物だそうです。
(関東大震災では倒壊・大破したそうですが主要部材は旧来の材料を用いて再建)
松の大廊下跡、富士見多聞、石室。
本丸跡地を縁に沿って時計回りで進んで行くと忠臣蔵松の廊下事件で有名な松の大廊下跡と記されたガイドポストがあります。
建物が何もないので想像するしかないのですが、ここが事件現場のようです。
林の中をそのまま歩いて行くと「御休息所前多聞」と刻まれた石碑があり富士見多聞の前に将軍の私的な居間の御休息所(本丸中奥)があったようです。
石室は大奥御主殿・御納戸の脇にあったことから御宝蔵と考えられています。
林を抜けて出たところにあるのが天守台。
慶長の天守閣(家康)、元和の天守閣(秀忠)、寛永の天守閣(家光)と3回天守閣は建てられましたが、1657年(明暦3年)の大火で天守閣が焼失後は天守台は作られましたが、戦のない時代で天守閣は不要との事で再建されることなく終わったそうです。
天守台は登る事ができ、北の方を見ると北の丸公園とその先に武道館を見る事が出来ます。
天守台からの眺望を楽しんだ後は北側の北桔橋門から行ったん出て、内堀通側から北桔橋門を撮影。
(受付で札を返却し、再入場の際には再び札を貰います)
北桔橋門は「きたはねはしもん」と読みここの橋は桔ね上げる事により本丸への通行を完全に絶つ事が出来る橋だそうです。
再入場して天守台・本丸大芝生まで戻り、天守台を背にして左回りに林の中を進むと大奥跡のガイドポスト。
天守閣前の芝生に大奥があったそうです。
セルフガイドブックにはイラストで解説してあるのでやはり東御苑の散策にはガイドブックは必須?
少し戻って天守台横の桃華楽堂と楽部をチェック。
桃華楽堂は香淳皇后の還暦を祝して建設された音楽堂で主に洋楽中心に演奏会が開かれ、右奥の楽部は雅楽が演奏される。
天守台を背にして本丸大芝生を右手に見ながら中雀門の方に進むと休憩所の左で少し登ったところに展望台があります。
展望台からは二の丸雑木林越しに大手町のビル群が見え、緑とビルの対比が面白いです。
左手方向に見えるのは白鳥濠と汐見坂。右方向は百人番屋。
ガイドポストの順番通りに廻ろうと思うと行ったり来たりで大変な事になっています。
展望台からの景色を楽しんだ後は再び天守台まで戻り、そのまま北方向へ進み先程は左へ行き北桔橋門から出て再び入りましたが、今度は右に曲がり梅林坂を下り左方向へ道なりに進んで平川門です。
梅林坂は名前の通り梅林の坂で坂の途中、下り切ったところでは梅の実の熟した甘い香りがしていました。
平川門の渡櫓門横には竹橋門につながる帯曲輪があり城内で死人や罪人が出ると帯曲輪門(不浄門)から出されたそうです。
ここでも一旦、皇居東御苑から出て再び入場。
梅林坂の下まで戻りそのまま道なりに左方向へ。
展望台から見た汐見坂と白鳥濠です。
昔は日比谷の入り江は入り込んでいてこの坂の途中から海が見えたので汐見坂と呼ばれたそうです。
この坂を登って行くと再び天守台(本丸大芝生)に戻る事になるので坂の途中からそのまま下へ戻り二の丸庭園を散策する事にしました。
二の丸雑木林の奥に二の丸庭園があり二の丸庭園では花菖蒲が見頃を迎えています。
池にはアサザの黄色い花は満開。
池で泳いでいる鯉はインドネアのヒレナガゴイと錦鯉を交配したヒレナガニシキゴイという鰭や尻尾が金魚のように長い鯉が泳いでいます。
庭園の西北隅には諏訪の茶屋と都道府県の木があり、諏訪の茶屋は明治45年(1912年)に吹上御苑に建てられた物を移築。
都道府県の木は昭和43年(1968年)に東御苑の整備・公開に合わせて各都道府県から植樹されたもので31種類260本あるそうです。
二の丸庭園で草花を眺めノンビリした後は帰路につく事にしました。
百人番所で左の中の門跡(大番所)へ向かいましたが、その反対側から百人番所前へ戻って来ました。
合流した地点には中の門の解体修理で取り外された石垣や解体修理の過程を解説したパネルが展示されていますので、石垣の興味ある方は要チェックです。
3時間半の江戸城散策は終了。
御苑内で撮影した草花はまた別の機会に
では。
明暦の大火で焼失後1659年(万治2)に再建された江戸城で現存する最も古い建造物だそうです。
(関東大震災では倒壊・大破したそうですが主要部材は旧来の材料を用いて再建)
松の大廊下跡、富士見多聞、石室。
本丸跡地を縁に沿って時計回りで進んで行くと忠臣蔵松の廊下事件で有名な松の大廊下跡と記されたガイドポストがあります。
建物が何もないので想像するしかないのですが、ここが事件現場のようです。
林の中をそのまま歩いて行くと「御休息所前多聞」と刻まれた石碑があり富士見多聞の前に将軍の私的な居間の御休息所(本丸中奥)があったようです。
石室は大奥御主殿・御納戸の脇にあったことから御宝蔵と考えられています。
林を抜けて出たところにあるのが天守台。
慶長の天守閣(家康)、元和の天守閣(秀忠)、寛永の天守閣(家光)と3回天守閣は建てられましたが、1657年(明暦3年)の大火で天守閣が焼失後は天守台は作られましたが、戦のない時代で天守閣は不要との事で再建されることなく終わったそうです。
天守台は登る事ができ、北の方を見ると北の丸公園とその先に武道館を見る事が出来ます。
天守台からの眺望を楽しんだ後は北側の北桔橋門から行ったん出て、内堀通側から北桔橋門を撮影。
(受付で札を返却し、再入場の際には再び札を貰います)
北桔橋門は「きたはねはしもん」と読みここの橋は桔ね上げる事により本丸への通行を完全に絶つ事が出来る橋だそうです。
再入場して天守台・本丸大芝生まで戻り、天守台を背にして左回りに林の中を進むと大奥跡のガイドポスト。
天守閣前の芝生に大奥があったそうです。
セルフガイドブックにはイラストで解説してあるのでやはり東御苑の散策にはガイドブックは必須?
少し戻って天守台横の桃華楽堂と楽部をチェック。
桃華楽堂は香淳皇后の還暦を祝して建設された音楽堂で主に洋楽中心に演奏会が開かれ、右奥の楽部は雅楽が演奏される。
天守台を背にして本丸大芝生を右手に見ながら中雀門の方に進むと休憩所の左で少し登ったところに展望台があります。
展望台からは二の丸雑木林越しに大手町のビル群が見え、緑とビルの対比が面白いです。
左手方向に見えるのは白鳥濠と汐見坂。右方向は百人番屋。
ガイドポストの順番通りに廻ろうと思うと行ったり来たりで大変な事になっています。
展望台からの景色を楽しんだ後は再び天守台まで戻り、そのまま北方向へ進み先程は左へ行き北桔橋門から出て再び入りましたが、今度は右に曲がり梅林坂を下り左方向へ道なりに進んで平川門です。
梅林坂は名前の通り梅林の坂で坂の途中、下り切ったところでは梅の実の熟した甘い香りがしていました。
平川門の渡櫓門横には竹橋門につながる帯曲輪があり城内で死人や罪人が出ると帯曲輪門(不浄門)から出されたそうです。
ここでも一旦、皇居東御苑から出て再び入場。
梅林坂の下まで戻りそのまま道なりに左方向へ。
展望台から見た汐見坂と白鳥濠です。
昔は日比谷の入り江は入り込んでいてこの坂の途中から海が見えたので汐見坂と呼ばれたそうです。
この坂を登って行くと再び天守台(本丸大芝生)に戻る事になるので坂の途中からそのまま下へ戻り二の丸庭園を散策する事にしました。
二の丸雑木林の奥に二の丸庭園があり二の丸庭園では花菖蒲が見頃を迎えています。
池にはアサザの黄色い花は満開。
池で泳いでいる鯉はインドネアのヒレナガゴイと錦鯉を交配したヒレナガニシキゴイという鰭や尻尾が金魚のように長い鯉が泳いでいます。
庭園の西北隅には諏訪の茶屋と都道府県の木があり、諏訪の茶屋は明治45年(1912年)に吹上御苑に建てられた物を移築。
都道府県の木は昭和43年(1968年)に東御苑の整備・公開に合わせて各都道府県から植樹されたもので31種類260本あるそうです。
二の丸庭園で草花を眺めノンビリした後は帰路につく事にしました。
百人番所で左の中の門跡(大番所)へ向かいましたが、その反対側から百人番所前へ戻って来ました。
合流した地点には中の門の解体修理で取り外された石垣や解体修理の過程を解説したパネルが展示されていますので、石垣の興味ある方は要チェックです。
3時間半の江戸城散策は終了。
御苑内で撮影した草花はまた別の機会に
では。