散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

皇居東御苑(旧江戸城)其の弐

2009-06-14 21:37:13 | 散歩
本丸大芝生に出たところで左手奥の茂みの中に入って行くと見えて来るのが『富士見櫓』
明暦の大火で焼失後1659年(万治2)に再建された江戸城で現存する最も古い建造物だそうです。
(関東大震災では倒壊・大破したそうですが主要部材は旧来の材料を用いて再建)

松の大廊下跡、富士見多聞、石室。
本丸跡地を縁に沿って時計回りで進んで行くと忠臣蔵松の廊下事件で有名な松の大廊下跡と記されたガイドポストがあります。
建物が何もないので想像するしかないのですが、ここが事件現場のようです。
林の中をそのまま歩いて行くと「御休息所前多聞」と刻まれた石碑があり富士見多聞の前に将軍の私的な居間の御休息所(本丸中奥)があったようです。
石室は大奥御主殿・御納戸の脇にあったことから御宝蔵と考えられています。
林を抜けて出たところにあるのが天守台。
慶長の天守閣(家康)、元和の天守閣(秀忠)、寛永の天守閣(家光)と3回天守閣は建てられましたが、1657年(明暦3年)の大火で天守閣が焼失後は天守台は作られましたが、戦のない時代で天守閣は不要との事で再建されることなく終わったそうです。
天守台は登る事ができ、北の方を見ると北の丸公園とその先に武道館を見る事が出来ます。
天守台からの眺望を楽しんだ後は北側の北桔橋門から行ったん出て、内堀通側から北桔橋門を撮影。
(受付で札を返却し、再入場の際には再び札を貰います)
北桔橋門は「きたはねはしもん」と読みここの橋は桔ね上げる事により本丸への通行を完全に絶つ事が出来る橋だそうです。
再入場して天守台・本丸大芝生まで戻り、天守台を背にして左回りに林の中を進むと大奥跡のガイドポスト。
天守閣前の芝生に大奥があったそうです。
セルフガイドブックにはイラストで解説してあるのでやはり東御苑の散策にはガイドブックは必須?
少し戻って天守台横の桃華楽堂と楽部をチェック。
桃華楽堂は香淳皇后の還暦を祝して建設された音楽堂で主に洋楽中心に演奏会が開かれ、右奥の楽部は雅楽が演奏される。

天守台を背にして本丸大芝生を右手に見ながら中雀門の方に進むと休憩所の左で少し登ったところに展望台があります。
展望台からは二の丸雑木林越しに大手町のビル群が見え、緑とビルの対比が面白いです。
左手方向に見えるのは白鳥濠と汐見坂。右方向は百人番屋。

ガイドポストの順番通りに廻ろうと思うと行ったり来たりで大変な事になっています。
展望台からの景色を楽しんだ後は再び天守台まで戻り、そのまま北方向へ進み先程は左へ行き北桔橋門から出て再び入りましたが、今度は右に曲がり梅林坂を下り左方向へ道なりに進んで平川門です。
梅林坂は名前の通り梅林の坂で坂の途中、下り切ったところでは梅の実の熟した甘い香りがしていました。
平川門の渡櫓門横には竹橋門につながる帯曲輪があり城内で死人や罪人が出ると帯曲輪門(不浄門)から出されたそうです。
ここでも一旦、皇居東御苑から出て再び入場。
梅林坂の下まで戻りそのまま道なりに左方向へ。
展望台から見た汐見坂と白鳥濠です。
昔は日比谷の入り江は入り込んでいてこの坂の途中から海が見えたので汐見坂と呼ばれたそうです。
この坂を登って行くと再び天守台(本丸大芝生)に戻る事になるので坂の途中からそのまま下へ戻り二の丸庭園を散策する事にしました。
二の丸雑木林の奥に二の丸庭園があり二の丸庭園では花菖蒲が見頃を迎えています。
池にはアサザの黄色い花は満開。
池で泳いでいる鯉はインドネアのヒレナガゴイと錦鯉を交配したヒレナガニシキゴイという鰭や尻尾が金魚のように長い鯉が泳いでいます。
庭園の西北隅には諏訪の茶屋と都道府県の木があり、諏訪の茶屋は明治45年(1912年)に吹上御苑に建てられた物を移築。
都道府県の木は昭和43年(1968年)に東御苑の整備・公開に合わせて各都道府県から植樹されたもので31種類260本あるそうです。
二の丸庭園で草花を眺めノンビリした後は帰路につく事にしました。
百人番所で左の中の門跡(大番所)へ向かいましたが、その反対側から百人番所前へ戻って来ました。
合流した地点には中の門の解体修理で取り外された石垣や解体修理の過程を解説したパネルが展示されていますので、石垣の興味ある方は要チェックです。
3時間半の江戸城散策は終了。
御苑内で撮影した草花はまた別の機会に
では。
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皇居外苑-皇居東御苑 (江戸城) 其の壱

2009-06-14 18:29:05 | 散歩
本日の散歩は公園。皇居東御苑。
小学校の遠足以来行った記憶がないので行って来ました。
小学校の時に遠足で行った記憶も皇居前広場で自由行動で楠木正成像を見たような気がするだけの怪しい記憶。
今回は予め下調べをして出発。
東京駅から歩いて馬場先門跡から皇居外苑へ。
左手には観光バスの駐車場があり、駐車場を斜めに横切るように進んで行くと楠木正成像があります。
楠木正成の銅像ですが楠公は高村光雲作で馬は後藤貞幸作。
東京の三大銅像の一つで他は上野恩賜公園の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像。
楠木正成像の顔の向いている方向へ進み正面に二重橋が見えて来ますが、濠に沿って左へ行き桜田門と桜田濠を撮影。内堀通りでマラソン大会が開催されているらしく参加者で一杯でした。来た道を戻ると言いますか、二重橋まで戻り二重橋と伏見櫓を撮影。
濠を左手に見ながら進み見えて来たのが坂下門と蛤濠。
坂下門の奥の右手に見えるのは宮内庁の建物。
この坂下門といえば、幕末の1862年(文久2)孝明天皇の妹・和宮と将軍家茂との結婚による公武合体を推進した老中・安藤信正が襲われた坂下門外の変があった場所。
本来の城門の構造として高麗門を入ると枡形と呼ばれた広場があり、左に渡櫓門があったそうですが明治以降に高麗門を撤去して渡櫓門が通路の正面に作り替えられたそうです。
桔梗門は普段、一般の人の出入りは出来ませんが、坂下門と同じく一般参賀の時にはここから出る事ができます。
桜田二重櫓は本丸(天守閣)から見て巽(東南)の方向にあるので巽櫓とも呼ばれていたそうです。
本日のメイン『皇居東御苑』の散策はここから始まります。
出入り口はこの大手門と北桔橋門、平川門の三ヶ所。
大手門は江戸時代、大名の登城する時に通ったいわば江戸城の正門。
高麗門を通り四角に囲まれた枡形を右に曲がり渡櫓門を通って中に入って行きます。
右折枡形門は守りやすい?
一般的に右利きが多いので弓矢や鉄砲を構える時、右側に武器を構えるため右に門があった場合に身を石垣などの影に隠しながら攻める事ができないので右折枡形門にしてあるそうです。
大手門の渡櫓門をくぐってすぐに受付があるので受付で来場券(プラスチックの札)をもらいます。
皇居東御苑に入るのは無料ですが、出入りの人数を確認するための札のようですの出る時に返却しますから紛失しないようにしましょう。
受付を過ぎてすぐ右手にある建物は『三の丸尚蔵館』。
昭和天皇と香淳皇后が代々皇室に受け継がれて来た絵画、書、工芸品など美術品6000点余りを国にご寄贈されたのを機に一般公開する事を目的に建てられた建物だそうです。(入場無料)
三の丸尚蔵館で美術品を鑑賞した後は並びに休憩所がありますので休憩所へ寄りましょう。
休憩所では皇室関連グッズなどが販売されていますが、『皇居東御苑セルフガイドブック』(700円)を買っておくと東御苑内を散策するのに便利です。
東御苑内の設けられたガイドポストの場所が記載されており、解説や写真、イラストが記載されているので理解を深める事ができます。
大手門はガイドポスト1で三の丸尚蔵館はガイドポスト2となっています。
休憩所で水分補給し、一服しながらガイドブックでルートを確認。

三の門跡の石垣を通り、すぐ右手に三の門を警固している同心番所があり左に曲がりの道を行くと両側に先程よりも高い石垣があります。
石垣を過ぎると左手に50メートルほどの長大な番所があり、この番所は百人番所と呼ばれる物で江戸城本丸最後の固めだそうです。

中の門跡、中の門跡石畳、大番所。
百人番所の長い建物を背にして、右に行けば白鳥濠です。
ここではガイドブックに従い左の石垣(中の門跡)へ。中の門跡石畳には門柱跡の丸い穴が8個あります。
大番所は他の番所より格上で、位の高い与力や同心が詰めていたそうです。
中の門から緩やかなS字カーブの坂を登ると左右に石垣がありここは中雀門跡です。
石垣に裂け目や割れ目が入っていて、しかも黒くなっているのは1863年(文久3)本丸御殿が焼けた時の類焼した痕と考えられているそうです。
中雀門跡の先、目の前に広がるのは本丸跡で芝生の広場になっており、周りに木々で覆われた散策路があります。
この本丸大芝生はガイドポスト7。
ガイドポストは全部で23ですので散策はまだまだ続きます。
また今週も記事が長くなりましたので其の弐へ続く
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