AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

あまちゃん、能年玲奈を初めて見たのは漁協のポスターでした(ナッキー)

2013-12-08 00:00:33 | 映画・芝居・ミュージカル・ドラマ
あまちゃん、能年玲奈を初めて見たのは漁協のポスターでした(ナッキー)

このブログでは、熱心に、ドラマ「あまちゃん」について語っており、ドラマの中の天野秋という役の女性については論じておりますが、アイドル能年玲奈に対する評価は誰も書いていません。

私が、能年玲奈の名前と顔を覚えたのは、出張先で訪問したビルの廊下で見かけたポスターでした。
どんな場所でも、「この女性は、アイドルかな」と感じたポスターは、名前が書いてあるかをチェックします。
一般企業のポスターは、映っているタレントの名前は書いていないことが多いですが、公共広告は、必ず書いてあります。
ポスターが貼ってあったのが、漁業組合という公共の場所だったので、書いてあるだろうと見たのです。
「この子が、能年玲奈か」と認識できたなという記憶があるので、
能年玲奈は、名前は知っているけど、顔が分からないタレントだったようです。

「ナッキーさんのようなアイドルの歴史をおいかけている方は見逃せんよ」と会社の同僚に、2013年4月からのNHKの朝の連ドラを見るように、言われて調べたら、能年玲奈と橋本愛。

橋本愛は、2013年2月10日に映画「さよならドビッシー」(感想を再録)を見ていますが、この時点では、連ドラ出演との認識をしていませんでした。
この映画は、映画としても、アイドル映画としても出来がよかったので、橋本愛が映画の中で輝いていたので、「あまちゃん」のユイ役は、私にとっては印象が薄い。
女優らしい(映画の)橋本愛が、アイドルらしい(ユイ役の)橋本愛より評価が高いとは、アイドリアンとしては自己矛盾である。
映画の橋本愛を見た時はどんな女優か(どんなアイドルか)先入観がなかったので、迫力が増したということ。
AKB48メンバーのように、どんなアイドルかを知っているアイドルの演技だったら、迫力があっても(普段の)アイドルとしての彼女との対比で、客観的に評価してしまう。
あまちゃんのユイ役の橋本愛は、本人の日常の姿と近く見えてしまうので、(アイドルにとっては利点なのだけど)迫力を感じることはがなくなったという感じ。

タイプとしては、橋本愛のような女優(アイドル)は苦手、たとえば、
橋本愛より、、、能年玲奈がタイプ。
麻丘めぐみより、山口百恵がタイプ。
浅野ゆう子より、林寛子がタイプ。
大場久美子より、榊原郁恵がタイプ。
松田聖子より、、河合奈保子がタイプ。
三原順子より、、柏原よしえがタイプ。
松本伊代より、、堀ちえみがタイプ。
早見優より、、、石川秀美がタイプ。
岡田有希子より、菊池桃子がタイプ。
中山美穂より、、斉藤由貴がタイプ。
仁藤優子より、、伊藤美紀がタイプ。
(少し時代をとばします)
後藤真希より、安倍なつみがタイプ。
石川梨華より、加護亜依がタイプ。
浦野一美より、平嶋夏海がタイプ。
西野未姫より、村山彩希がタイプ。
左側に書いたアイドルの中には、単に苦手の子もいれば、タイプじゃないけど好き(浦野一美代表)もいます。

ナッキー

再録:映画「さよならドビュッシー」 アイドル映画である必要はないけど、アイドリアンとして満足(ナッキー)

映画「さよならドビュッシー」(公式HPをリンク)は、見に行く予定はなかったのですが、2月1日朝日新聞夕刊の次の評を読んで、見に行きたくなりました。

朝日新聞評「利重剛監督の映像は濃密で面白い。でも橋本愛のアイドル映画としてみればワンパンチ足りない。彼女には相米慎二や大林宣彦タイプの監督と出会ってほしい。」

これは、通常、新聞・雑誌でみかける評と論理の展開が正反対である。
通常の論評の論理は、次の通り。

アイドルが出ている映画である。
アイドルは演技が不十分である。
アイドルの演技が不十分であるのを補うのが監督の技量であり、この映画はそれを達成している(あるいは達成できていない)。
アイドルの演技は不十分であるが、映画としの魅力は認める。(あるいは、アイドルの演技が不十分である故に、映画としての魅力に欠ける。)

朝日新聞評は、反対に、
映画としての魅力がある。(映像は濃密で面白い)
しかし、アイドル映画としては、不十分である。(ワンパンチ足りない)
映画監督は映画の技量は発揮しているが、アイドル映画の技量は(相米・大林に比べると)不足している。

アイドリアンを続けていると、アイドルなり、アイドル映画なりが、批判されることに慣れ切ってしまって、アイドルや、アイドル映画を積極的に評価する意見を読むと照れてしまう。

朝日新聞の評が、当たっているのか、はずれているのか、それを確認したくて、本日新宿ピカデリーへ。朝日の評のように、濃密な映像で、「映画」を見たなあ、という感想を持った。

なにしろ、私は、一つ前に見た映画が、光宗薫の「女子カメラ」
その一つ前が仲谷明香の「武蔵野線の姉妹」
その一つ前が、今日と同じ映画館で、超大衆作(←超大作の反対)指原莉乃の「ミューズの鏡」
と、典型的なアイドル映画(定義:アイドルが出演していなかったら、見る価値のない映画)ばかり見ていたのだから。

「さよならドビッシー」は、おいしいけどハンバーガーと立ち食いソバとサンドイッチを続けて食べた後に、一流料理を食べたみたいな。

朝日評とは反対に、これだけ、映画としてよくできていれば(面白ければ)、アイドル映画として撮る必要はないのではないかと感じました。

このブログでは、アイドル映画にのみ価値があり、アイドル映画以外の映画は見る価値がないという論戦をはっている私がそう思ったのは、実は映画の中に、アイドル映画としての見どころがあったから。

一番の見どころは、最後のピアノ演奏を始めたハルカ役の橋本愛が、ハルカとルシアとの学生生活を回想するところ。
この部分は、ピアノ演奏のシーンなので、セリフがなく、セリフがないが故に、美しいアイドルの演技のシーンになっています。一見の価値あり。

次に、橋本愛と、ピアノ教師(男性)の会話。
橋本愛は、火事で体を焼かれ、ピアノが弾けなくなった。通っていた高校からは、「音楽学校なのだから、転校しろ」と言われる。リハビリを経て、ピアノが弾けるようになった橋本愛に、コンクールの出演を高校から勧められた橋本愛は反発する。(セリフは正確にメモできていないので、こういう感じとして)

高校の校長に対して、
「指が三分しか動かない(のにコンクールに出ろって言うのですか)」
「こんな体を人前に・・・」   火事の後遺症の手術の跡をさらさなくてはならない の意。
「辞退できるんですか」

家族に対して、
橋本愛「学校の宣伝に使おうとしているだけ(だから私は出ない)」
出演を勧める母
橋本愛「私のこの体を、興味本位で見られるのは、平気なの」

ピアノ教師が説得を試みる「表現の世界に、勝ち負けってない。」
橋本愛  「見せものになるなって、嫌だ」
ピアノ教師「ピアニストって見せものなんじゃない?」「僕は人を感動させることができるなら、見せものでもいい」「それとも、君は人前に出ないCDしか出さないピアニストになるつもりなのか」
この後のシーンで、ピアノを弾くのは、自分のためではなく、誰かのためなら頑張れるというセリフ。

アイドル、AKB48に通じる何かを感じました。見せものであるが故に人を感動させる。

主役の橋本愛は、平田梨奈がイメージが近いかも。
ルシア役の相楽樹は橋本耀。
最近、研究生公演した真剣に見ていないし、オンデマンドも研究生だけはたまに見るので、頭の中研究生しか浮かびません。
ルシアはアイドル的には「おいしい役」で、広末涼子、南沢奈央にも近いイメージ。

アイドル映画でない映画に、一瞬でもアイドルを感じたら、アイドリアンとしては幸せ。

ナッキー
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« AKB48とフラップガールズスク... | トップ | 総選挙、指原莉乃1位で、AKB4... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画・芝居・ミュージカル・ドラマ」カテゴリの最新記事