(2013年10月27日の記事を再掲載。)
なぜその曲を好きになるのか、それは永遠の研究テーマだ。
曲だけでなく人の場合でも同じだが、好きになるのに理由などない。そう言ってしまえばそれで終わってしまうが、自分自身の好きになる傾向や法則といったものはあるのではないか。そんなことをずっと考えて来たが、最近見たこともない地方アイドルのCDを沢山聴いていて、ヒントを得た。
図1「好きになるパターン」
最初に聴いた時からすぐ好きになる「ひと目ぼれ」。
最初はそうでもないが聴くほどに良さがわかって来る、いわゆる「スルメ曲」。
ずっと好きでなかったのに何かのきっかけで好きになる「突然開眼」。
「ひと目ぼれ」した曲は、最近では『スキ!スキ!スキップ』『太宰治を読んだか』『タイムマシンなんていらない』など。
「スルメ曲」は、『恋するフォーチュンクッキー』『ショートケーキ』。
「突然開眼」は『結晶』(NMB48のリクエストアワーで1位になったと知り聴き直して良さに開眼)、『パレオはエメラルド』(紅白歌合戦のパフォーマンスを何回も見直しているうちに曲自体も好きになった)。
ひと目ぼれするのは、主にメロディーやアレンジによる場合が多いようだ。
歌詞は徐々に頭に入って来ることが多いので、ひと目ぼれの原因にはなりにくい。歌詞がいいと、ひと目ぼれした曲をますます好きになったり、後から好きになる原因になったりする。
人を好きになる場合に当てはめると、メロディーやアレンジがルックスで、歌詞が性格や「話が合う」といった内面ということになろうか。
ところで、完璧な「ひと目ぼれ」というのは、滅多にないものだと思う。
はじめて聴いた時から気に入ったと思ってみても、実は聴く前から「たぶん気に入るだろう」「好きになりたい」といった先入観を持っているものだ。こういう先入観を完全に防ぐことは難しい。
AKB48の新曲が出ると知って、それを聴くためには、CDを買ったり、テレビを点けたり、そういう準備をする段階で、既に何らかの期待値を持ってしまっているものだ。作詞はいつもの通り秋元康で、センターは小嶋陽菜だとか、グループサウンド調の曲だとか、知りたくなくても情報は入ってくる。
そうやって無意識に形成された「期待値」に対して、それ以上だったか以下だったかで、相対的な評価をしてしまっているのではなかろうか。
昔、榊原郁恵のファンだった頃、出す曲出す曲が期待値に達せず、好きになれなかった記憶がある。あれは期待値が高過ぎたのだ。今になってみると『風をみつめて』、『シャイニング・ラブ』、『悲しきクラクション』などは、相当いい曲である。当時は先入観に縛られて、もったいないことをした。
その点、最近聴いている地方アイドルは、期待値を持つための予備知識がほとんどなくていい。
いや、どちらかと言うと予備知識がない分、低い期待値を持っているのかもしれない。その結果、「そこそこ好き」な程度の曲であっても、サプライズ効果で、AKBグループの曲と比べて相対的に高い評価になっているような気がする。それはそれでお得なことだ。かつての榊原郁恵に対する私のように、高い期待値をなるべく持たず、曲と「初対面」することが、好きになる秘訣かもしれない。
図2「先入観と第一印象」
しかし、もっとピュアに、予備知識もなく、高い期待値も低い期待値も持たずに、曲と「初対面」を果たすにはどうすればいいのか。
それは、聴く気はなく何気なく耳にした曲に心を奪われるといった、偶然の出会いを待つしかない。
これまでの人生で、『精霊流し』(さだまさし)、『時代』(中島みゆき)、『長い間』(kiroro)という曲とは、そんな感じで出会った。例えば『長い間』は、ゴルフ帰路の車中、ラジオで流れていた曲に、誰が歌っているかも知らないまま惹きつけられていた。
アイドルの曲で、そのような運命的な「ひと目ぼれ」をした経験は、今のところない。
なぜその曲を好きになるのか、それは永遠の研究テーマだ。
曲だけでなく人の場合でも同じだが、好きになるのに理由などない。そう言ってしまえばそれで終わってしまうが、自分自身の好きになる傾向や法則といったものはあるのではないか。そんなことをずっと考えて来たが、最近見たこともない地方アイドルのCDを沢山聴いていて、ヒントを得た。
図1「好きになるパターン」
最初に聴いた時からすぐ好きになる「ひと目ぼれ」。
最初はそうでもないが聴くほどに良さがわかって来る、いわゆる「スルメ曲」。
ずっと好きでなかったのに何かのきっかけで好きになる「突然開眼」。
「ひと目ぼれ」した曲は、最近では『スキ!スキ!スキップ』『太宰治を読んだか』『タイムマシンなんていらない』など。
「スルメ曲」は、『恋するフォーチュンクッキー』『ショートケーキ』。
「突然開眼」は『結晶』(NMB48のリクエストアワーで1位になったと知り聴き直して良さに開眼)、『パレオはエメラルド』(紅白歌合戦のパフォーマンスを何回も見直しているうちに曲自体も好きになった)。
ひと目ぼれするのは、主にメロディーやアレンジによる場合が多いようだ。
歌詞は徐々に頭に入って来ることが多いので、ひと目ぼれの原因にはなりにくい。歌詞がいいと、ひと目ぼれした曲をますます好きになったり、後から好きになる原因になったりする。
人を好きになる場合に当てはめると、メロディーやアレンジがルックスで、歌詞が性格や「話が合う」といった内面ということになろうか。
ところで、完璧な「ひと目ぼれ」というのは、滅多にないものだと思う。
はじめて聴いた時から気に入ったと思ってみても、実は聴く前から「たぶん気に入るだろう」「好きになりたい」といった先入観を持っているものだ。こういう先入観を完全に防ぐことは難しい。
AKB48の新曲が出ると知って、それを聴くためには、CDを買ったり、テレビを点けたり、そういう準備をする段階で、既に何らかの期待値を持ってしまっているものだ。作詞はいつもの通り秋元康で、センターは小嶋陽菜だとか、グループサウンド調の曲だとか、知りたくなくても情報は入ってくる。
そうやって無意識に形成された「期待値」に対して、それ以上だったか以下だったかで、相対的な評価をしてしまっているのではなかろうか。
昔、榊原郁恵のファンだった頃、出す曲出す曲が期待値に達せず、好きになれなかった記憶がある。あれは期待値が高過ぎたのだ。今になってみると『風をみつめて』、『シャイニング・ラブ』、『悲しきクラクション』などは、相当いい曲である。当時は先入観に縛られて、もったいないことをした。
その点、最近聴いている地方アイドルは、期待値を持つための予備知識がほとんどなくていい。
いや、どちらかと言うと予備知識がない分、低い期待値を持っているのかもしれない。その結果、「そこそこ好き」な程度の曲であっても、サプライズ効果で、AKBグループの曲と比べて相対的に高い評価になっているような気がする。それはそれでお得なことだ。かつての榊原郁恵に対する私のように、高い期待値をなるべく持たず、曲と「初対面」することが、好きになる秘訣かもしれない。
図2「先入観と第一印象」
しかし、もっとピュアに、予備知識もなく、高い期待値も低い期待値も持たずに、曲と「初対面」を果たすにはどうすればいいのか。
それは、聴く気はなく何気なく耳にした曲に心を奪われるといった、偶然の出会いを待つしかない。
これまでの人生で、『精霊流し』(さだまさし)、『時代』(中島みゆき)、『長い間』(kiroro)という曲とは、そんな感じで出会った。例えば『長い間』は、ゴルフ帰路の車中、ラジオで流れていた曲に、誰が歌っているかも知らないまま惹きつけられていた。
アイドルの曲で、そのような運命的な「ひと目ぼれ」をした経験は、今のところない。