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オズの魔法使い、ミューズの鏡、僕の太陽、文化の断絶か飛躍か(ナッキー)

2012-10-03 00:00:00 | 映画・芝居・ミュージカル・ドラマ
オズの魔法使い、ミューズの鏡、僕の太陽、文化の断絶か飛躍か(ナッキー)

先週の金曜と土曜の2日間で、三つのエンターテイメントを鑑賞しました。
ミュージカル、映画、コンサート、異なるパフォーマンスを三つ。
場所は、横浜、新宿、秋葉原。
共通点は、AKB48(増田有華、指原莉乃、研究生)。

オズの魔法使いは、レベルが高かった。
増田有華ファンだけでなく、ミュージカルファンが、スタンディングオベーションで評価したからだけでなく、私自身のつたないミュージカル鑑賞経験からしても、観客を感動させるという観点で、なかなかのものでした。
観客みんなが、エンディングで立っているのに、腕を組んで坐ったまま、醒めた目で増田有華だけ見ていた私が異質な感じ。

私が昨年の4月にロンドンで見たオズの魔法使いとほぼ同じ内容・脚本でした。1年半前の記憶なので、自信はありませんが、ロンドンでは、ドロシーが悪い魔女を倒して、奴隷たちが解放された時に、「ハレルヤ」と歌って盛り上がるシーンは、なかったか、短かったと思います。
横浜では、「ハレルヤ」と歌って盛り上がり、この曲をアンコール的にエンディングで歌い踊り、出演者が観客席に出て、ハイタッチをするという演出までありましたが、ロンドンではなかった。

ロンドンのオズの魔法使いは、家族連れで、子供が楽しむミュージカルで、子供向けだったから、ドロシー役の女優も、実年齢がドロシーと同じか若いのに、背伸びをしている感じ。女優と観客の年齢を近づけ、子供の観客が感情移入できるようにしているのか、と今から考えると思います。
一方、21歳になったばかり増田有華は、大人なのに子供を演じているので、役者として演じきれるかというのが、一つの見所。
演じきったという点で、増田有華は勝っていました。私の感想は、

舞台に立っていのは、確かに、増田有華なのだけど、
そこにいるのは、私がAKB48のシアターで見ていた「増田有華」ではなく、
ドロシーを演じきっている『増田有華』である。

実在する増田有華本人と、AKB48メンバー(=アイドル)としてファンを楽しませてきた「増田有華」と、フィールドの異なるミュージカル女優しての『増田有華』の間には、ある意味、断絶があると感じました。
これを、「増田有華」から『増田有華』への成長(文化的に飛躍した)ととらえるのか、
「増田有華」は面白いけど、『増田有華』はつまらないと、唯アイドル史観(マルクスの唯物史観を援用)をつらぬくのか、それは、個人の感性によるでしょう。
私は、文化・芸術には興味がなくアイドルだけが好きという教条主義なので後者。昨日モニターで見た「増田有華」は好きだけど、『増田有華』は退屈でした。

ロンドンで、オズの魔法使いを見た時、エルトン・ジョンのグッドバイ・イエロー・ブリックロード(私が知っている数少ない洋楽)は、オズの魔法使いのオマージュなのだと知った。ロンドンでこれに気がついた時と同じシーンが出てくるのか、セリフに注意していたのだが、日々のモニター観戦と仕事の疲れからか、うとうとしてしまったようだ。

作品としてのオズの魔法使い:文化としてのレベルが高く、誰が見ても(出演者のファンでなくても)文化・芸術として楽しめる作品。
作品としてのミューズの鏡:出演者のファンでないと、楽しめない可能性が高い、その意味で普遍的ではない作品。
作品としての僕の太陽、研究生公演:誰が見ても楽しめるほど普遍性が高いとは言わないが、アイドルのパフォーマンスとして、こんなに面白いものはない。

ナッキー

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