ブログ管理人に、記事に書いてくれと頼まれたので、書く。
結果論 とは、どのように定義されるのであろうか。
広辞苑によると、原因や経過を無視しえ、ただ結果だけを見てする議論 と書いてある。(定義1)
私は、少し違うニュアンスで使われているように思われる。
例えば、野球で、同点で迎えた9回の裏、二死満塁、ボールカウント2ストライク3ボールの場面で、投手の投げた球が、
ケース1 ど真ん中に投げた球を、打者が空振りの三振
ケース2 きわどいコースに投げた球を、打者が見逃しの三振
ケース3 ど真ん中に投げた球を、打者がヒットを打ち、さよなら負け
ケース4 きわどいコースに投げた球を、打者が見逃しファーボールでさよなら負け
結果論で言うと、
ケース3 あんな、ど真ん中に投げたら、打たれますよ、もっときわどいコースに投げなくては。
ケース4 あんな、きわどいコースに投げたら、ボールになってしまいますよ。もっとど真ん中に投げなくては。
結果論とは、ポリシーなり、方針がなくて、結果から、都合のよい解釈をすること だと私は思っている。(定義2) いわいる、「結果論ななら、何とでも言えるよね」 と批判する時に使う言葉である。
この野球の例だと、ど真ん中に投げるべきだと考える人は、ケース1でも(結果がよくても)ケース3でも(結果が悪くても)、正しい選択肢だと評価し、ケース2でも(結果がよくても)ケース4でも(結果が悪くても)、誤った選択肢だと論じるべきなのである。
さて、私が、ブログ管理人に話したことは、次の通り、
B4thを見ての私の感想として、
秋元康は、B4thのイメージが頭に描いた時に、配役として与える役のない3人 ( 井上奈瑠 松岡由紀 早乙女美樹 )をはずして、配役に適した研究生を昇格させた 及びアンダーとして起用したのではないか
何故なら、このセットリストに、この3人が出演したとしたら、今見ているように、「内容のよいステージだ」とは思えなかっただろうから。
これに対して、ブログ管理人より、「では、何故たなみんは残ったのか」と質問されたが、
「4人の候補に対して、配役できるポジションは一つしかなかった、そこに、4人の中から田名部生来を選んだ。結果論からすると、適役だったと思う。」と答えた。
ここで使っている結果論とは、起こってしまったことに、過去にさかのぼって他の選択肢を選ぶことができないのに、結果としてよかった(悪かった)と論じること。(定義3)
まつゆきファンの韓国人の方が、このブログを読んで、アクセスしてきていただいた直後に、松岡由紀をネガティブに評価するような記事を書いて申し訳ないのだが (なるっぺ と みきぽむ のファンにも申し訳ないのだが) B4thがあまりに、技巧的なので、こういう感想を持った。
ブログ管理人は、「言われてみると、その通りだが、自分は気がつかなかった、というか、そういう発想をしなかった」から、記事に書いて欲しいとのこと。
表題に結果論と書いたのは、3人がチームBを去ったという事実と、B4の内容を見たという結果から、理由をさかのぼって類推(邪推)しているから。
もし、私が、井上奈瑠はともかくとして、松岡由紀の引退発表の時に、「B4thの内容は技巧的になる、技巧に弱いメンバーが引退させられていくから」という記事を書くことができていたら、結果として、当たっても、当たらなくても、記事としては意義のあるものだったと思う。
KC
結果論 とは、どのように定義されるのであろうか。
広辞苑によると、原因や経過を無視しえ、ただ結果だけを見てする議論 と書いてある。(定義1)
私は、少し違うニュアンスで使われているように思われる。
例えば、野球で、同点で迎えた9回の裏、二死満塁、ボールカウント2ストライク3ボールの場面で、投手の投げた球が、
ケース1 ど真ん中に投げた球を、打者が空振りの三振
ケース2 きわどいコースに投げた球を、打者が見逃しの三振
ケース3 ど真ん中に投げた球を、打者がヒットを打ち、さよなら負け
ケース4 きわどいコースに投げた球を、打者が見逃しファーボールでさよなら負け
結果論で言うと、
ケース3 あんな、ど真ん中に投げたら、打たれますよ、もっときわどいコースに投げなくては。
ケース4 あんな、きわどいコースに投げたら、ボールになってしまいますよ。もっとど真ん中に投げなくては。
結果論とは、ポリシーなり、方針がなくて、結果から、都合のよい解釈をすること だと私は思っている。(定義2) いわいる、「結果論ななら、何とでも言えるよね」 と批判する時に使う言葉である。
この野球の例だと、ど真ん中に投げるべきだと考える人は、ケース1でも(結果がよくても)ケース3でも(結果が悪くても)、正しい選択肢だと評価し、ケース2でも(結果がよくても)ケース4でも(結果が悪くても)、誤った選択肢だと論じるべきなのである。
さて、私が、ブログ管理人に話したことは、次の通り、
B4thを見ての私の感想として、
秋元康は、B4thのイメージが頭に描いた時に、配役として与える役のない3人 ( 井上奈瑠 松岡由紀 早乙女美樹 )をはずして、配役に適した研究生を昇格させた 及びアンダーとして起用したのではないか
何故なら、このセットリストに、この3人が出演したとしたら、今見ているように、「内容のよいステージだ」とは思えなかっただろうから。
これに対して、ブログ管理人より、「では、何故たなみんは残ったのか」と質問されたが、
「4人の候補に対して、配役できるポジションは一つしかなかった、そこに、4人の中から田名部生来を選んだ。結果論からすると、適役だったと思う。」と答えた。
ここで使っている結果論とは、起こってしまったことに、過去にさかのぼって他の選択肢を選ぶことができないのに、結果としてよかった(悪かった)と論じること。(定義3)
まつゆきファンの韓国人の方が、このブログを読んで、アクセスしてきていただいた直後に、松岡由紀をネガティブに評価するような記事を書いて申し訳ないのだが (なるっぺ と みきぽむ のファンにも申し訳ないのだが) B4thがあまりに、技巧的なので、こういう感想を持った。
ブログ管理人は、「言われてみると、その通りだが、自分は気がつかなかった、というか、そういう発想をしなかった」から、記事に書いて欲しいとのこと。
表題に結果論と書いたのは、3人がチームBを去ったという事実と、B4の内容を見たという結果から、理由をさかのぼって類推(邪推)しているから。
もし、私が、井上奈瑠はともかくとして、松岡由紀の引退発表の時に、「B4thの内容は技巧的になる、技巧に弱いメンバーが引退させられていくから」という記事を書くことができていたら、結果として、当たっても、当たらなくても、記事としては意義のあるものだったと思う。
KC