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第3代国王トゥルス・ホスティリウス(在位:紀元前673-642)

2020-03-30 20:23:54 | 世界史

 

初代国王 ロムルス 在位:紀元前753ー717
② ヌマ(Numa Pompilius)   在位:紀元前715-673
③ トゥルス・ホスティリウス(Tullus Hostilius) 在位:紀元前673-642)
ローマを建国したロムルスは母市の援助もなく村を建設した。非常に少ない人数で無人の地に集落を建設する困難に加え、ローマはサビーニ人とエトルリア人という2大勢力の境界に位置しており、どちらの勢力もローマの動向を警戒していた。ロムルスには人口増やすという急務と周囲の敵対勢力から村を守るという困難な課題があった。彼はなりふり構わず人を集め、人は集まったが、ローマは品性の良くない集団としてさげすまれた。彼は5回戦争した。最初の3回は1回だけが真の戦争であり、残り2回は相手に繊維芽がなく、3回勝利した。4回目はサビーネ人に対する戦争で、苦戦が予想されたが、父とローマ人である夫の戦争に反対したサビーネ人女性の訴えにより、中断された。5回目はエトルリア人との戦争であり、ローマが劣勢だったが、ロムルスのとっさの機転により勝利した。ロムルスはほとんど無の状態から初めて、地域で最も繁栄している敵に勝利した功績は多きい。意思の強さと、困難な状況をとっさの判断で切り抜ける能力だけで、彼は新しい村を建設し、その基礎を固めた。
ローム留守の死後、2年間後継者が決まらなかった。100名の元老の中に、傑出した人物な存在せず、ローマ人とサビーネ人が対立したからである。平民はロムルスを敬愛していて、新王の選定をせかし、ようやく決まった。第2代国王ヌマはロムルスと正反対の性格で、温和で思慮深く、一度も戦争をしなかった。

 

 

l====《リヴィウスのローマ史 第1巻22章-31章》===
            Titus Livius ;   History of Rome               
             Canon Roberts

 

ヌマが死んで、元老の中から臨時国王代理が選ばれ、新国王の選挙を管理した。人民が選んだ第3代国王は トゥリウス・ホスティリウスだった。彼はサビーネとの戦争の際、要塞防衛を勇敢に戦ったホスティリウスの孫である。元老院は選挙結果を承認した。 新国王は前の国王と正反対の性格を持ち、戦闘的だった。新国王は若く、野心に燃えエネルギーがありった。彼は祖父の軍事的名声に刺激され、戦闘的だった初代ロムルスよりもさらに好戦的だった。彼は前王ヌマの施政に批判的だった。戦争のない状態が続き、国家の活力が失われたと考え、彼は戦争の口実を探し回った。
当時ローマの農民はアルバ・ロンガの領内に侵入し、略奪をしており、アルバの農民もローマ領内で略奪していた。 アルバの支配者はガイウス・トゥリウスだった。両国は互いに事態の改善を求めて使節を送った。ローマ王トゥルスは使節に事態の即時改善を要求せよと言って送り出した。アルバはローマの要求を拒否すに違いなく、ローマはそれを口実に戦争するつもりだった。
アルバの使節がローマに来たので、ローマは彼らを丁重に迎え、豪華に接待したが、王との面会を遅らせた。
アルバがローマの要求を拒否したので、ローマは30日後に戦争すると宣言した。その後アルバの使節はようやくローマ王トゥルスとの面会を許され、来訪の目的を尋ねられた。アルバの使節は戦戦争の宣告を知らずに、穏やかに要求の内容を説明した。
「国王陛下にお聞き苦しいころを申し上げるのは恐縮ですが、私たちの任務ですので申し上げます。我らの領地の略奪をやめていただきたい。もし事態の改善を拒否されるなら、我々は戦争を宣言するよう命令されています」。
これに対し、ローマ王トゥルスは次のように言った。
「帰って君たちの王に伝えなさい。最初に使節を無礼に追い返した国家には戦争の厄災が降りかかるであろう」。
アルバの使節はアルバに帰り、ローマ王トゥルスの言葉を伝えた。両国は念入りに戦争の準備を始めた。ローマとアルバはどちらもトロイ人を先祖とし、同族であったので、この戦争は内戦のようなものだった。アルバを建設したアスカニスはトロイ人アエネースの息子であリ、ローマの建国者ロムルスはアルバ王の孫である。
アルバが先に兵を動かし、大勢のアルバ兵をローマ領内に進入し、ローマから8kmのところに布陣した。そしてローマを取り巻く堀をを掘った。この堀はその後数百年クルリアン堤防と呼ばれた。クルリアンはアルバ王の名前である。現在この堀は消えている。
アルバ軍がローマを包囲しているとき、アルバ王が死んだので、メティウス・フェティウスが独裁官になった。アルバ王の死はローマ軍にとってチャンスだったので、トゥリウス王は勝利の希望をふくらませ、叫んだ。
「間違った戦争を始めたアルバ人に、天罰が下るだろう」。
ローマ軍は夜の闇を利用し、アルバ軍の陣地を通り抜け、アルバ領に向かった。しばらくしてアルバ軍が気付き、ローマ軍を追いかけた。ローマ軍に近づくと、アルバの独裁官は将校をローマ王に派遣し、次のように伝えさせた。
「戦闘を始める前に話し合おう。私私提示する条件は双方にとって有益だ。」。
ローマ王トゥルスは了承したが、談判決裂に備えて、兵士を戦闘態勢に置いた。アルバの独裁官とトゥルスは少数の将校とともに歩み寄った。最初にアルバの独裁官が話しをはじめた。

王から聞いたところによれば、戦争の原因は、略奪品が返還または賠償されないことである。しかし真の理由は領土拡大の野望ではないだろうか。そのようなことのために、同族で隣国である人々が互いに戦争をしてよいだろうか。アルバはローマにとって敵ではない。ローマが恐れるべきはエトルリアだ。彼らは強力な陸軍を持つだけでなく、彼らの海軍はさらに兄弟だ。エトルリアは偉大な国民であり、ローマほどエトルリアに近くない我々にとっても脅威だ。ローマとアルバが戦争し、療法が疲弊しているときに、エトルリアが攻めてきたらどうなるだろう。ローマがアルバに勝っても、またその逆でも、何の意味もない。真の勝者はエトルリアだ。こうした状況を考慮しても、やはりローマが戦争をしたいのなら、賭けで勝敗を決めよう。両軍の犠牲がなくて済む。ローマとアルバのどちらが支配者となるか、賭けで決めよう」。
ローマ王トゥルスはもともと好戦的な性格であり、戦闘に自信があったが、アルバの独裁官の説明に納得し、了承した。独裁官と国王はそれぞれの軍に帰り、両軍はそれぞれ熱心に議論した結果、同意した。運が両軍の勝敗を決めることになった。
ローマ軍にもアルバ軍にも3つ子の兄弟がいた。療法の3つ子は年齢も体力も同じくらいだった。それぞれホラティとクリアティという名前だった。これは有名な出来事だったにもかかわらず、どちらがローマの3兄弟なのかは、わかっていない。しかし私はホラティ兄弟がローマ人だったと思う。
それぞれの3兄弟は国家の運命をかけて戦うことになった。敗者となった国は主権を失うのである。どちらの3兄弟もこの役目を引き受け、場所と時が決められた。決闘の前に、両国は条約を結び、敗れた側は平和的に降伏すると約束した。んだ。これは記録が残っている最初の条約であり、以後の条約はこの条約の形式を踏襲した。
ローマのユピテル神殿の神官の中に、戦争と外交をつかさどる者たちがいて、彼らは、国王に戦争を助言したり、敵国に行って宣戦布告したリした。フェティアル〈Fetial)と呼ばれるこれらの神官が国王に言った。
「アルバの外交官と条約を結んでよろしいですか」。
王が「よろしい」と言ったので、フェティアルは「若草をください」と要求した。王は「みずみずしい若草を取りなさい」」と言った。フェティアルは砦に生えている若草を採取し手から、王に言った。
「私にローマ国民の全権をを与えますか」。
王は「よろしい、私と国民の名誉を傷つけないようにしなさい」と答えた。
この時のフェティアルはヴァレリウスだった。彼はスプリウシ・フリウスを大使に任命し、スプリウスの頭と髪を若草で撫でた。大使はパテル・パトラトゥス(聖職者の長)と呼ばれた。大使はユピテル神に向かって条文を読み上げてから言った。
「ローマはこの条文を守ることを誓います。もしローマが最初にこの条約を破るなら、ローマを打ち砕いてください」。
アルバの神官も彼らの神に向かって、条約を守ることを誓った。
それぞれ3名の戦士が武装を始め、戦いの準備をした。彼らの仲間が声援した。祖父の神、家族、市民が見守る中で、3名は祖父の土地を代表して戦うのであった。広場に線が引かれており、彼らは祖国の運命を背負い、そこに向かって進んだ。
ローマとアルバの軍隊は自分たちの陣地にとどまっており、危険がなかったが、3名の勝敗について心配していた。彼らににとってこの見物は楽しいものではなく、緊張させるものだった。開始の合図とともに、それぞれの戦士が剣を振りかざし、激突した。3人対3人の決闘だったが、その衝突は、軍隊同士の戦闘と同じ迫力があった。負けた方の国家は主権を失い属国となるので、戦士たちは恐怖を忘れ勝利をめざして戦った。打ち込んだ剣が盾に当たると、観衆は身震いした。剣士がすきを窺っていると、観衆は静まり返った。間もなく、傷から流れる血が見え、ローマの2人の剣士が重なり合って倒れ、息が絶えた。一方アルバの剣士3人は負傷しただけだった。アルバ軍の兵士たちは、アルバの剣士が有利になったので、歓声をあげた。これとは逆にローマ軍は絶望的になり、アルバの3つ子の兄弟にトリ囲まれている、一人のローマ人剣士を心配そうに見守った。生き残ったローマ人は不利だったが、一対一なら相手に勝つ自信があり、逃げ回った。アルバの3つ子の兄弟は負傷しており、逃げる相手を追いまわしているうちに体力を減じるだろう、と推測したのである。予測は的中し、彼が後ろ振り返ると、3人のアルバ人のうち後ろに迫っているのは一人だけであり、残りの2人は間隔を開けて追いかけてくるのを見た。アルバの観客は遅れている2人に「早く追いつけ」と励ましていた。ホラティウスは急に振り返り、後ろに迫っていた敵に全力で一撃を加えた。一人を片づけると、彼は2人目を待った。これを見ていたローマの観衆は絶望が希望に変わり、自国の戦士ホラティウスを声援した。ホラティウスは2人目の敵を倒し、自信を持って3人目に立ち向かった。3人目のアルバ人剣士は負傷のため苦しそうに足を引きずっている状態なので、ホラティウスにとって彼を倒すのは容易であった。ローマ人は勝利を喜んだ。勝利の剣士ホラティウスは言った。
「私は2人の兄弟の死を弔うために、敵の2人を殺した。ローマに勝利がもたらされたので、3人目の死をローマにささげよう。ローマはアルバを支配するだろう」。
ホラティウスは3人目のアルバ人の首に剣を突き刺した。
ローマとアルバはそれぞれ死者を弔ったたが、ローマは勝利したので喜びがあり、アルバは自由と独立を失い、悲しみが大きかった。
決闘が行われた場所に双方の死者の墓が達られた。2人のローマ人の墓は並んで、アルバの方角を向いており、3人のアルバ人の墓は間隔を置いてローマの方角を向いていた。
こうしてローマとアルバの戦争は回避され、代表3人による決闘は、ローマの勝利で終わった。アルバの城壁は破壊され、アルバはローマに吸収されることになった。
決闘が終了し、両軍が別れるとき、アルバの独裁官メティウスはローマの王トゥルスに「アルバに対する命令があるか」と聞いた。トゥルスは「ウェイイとの戦争がいつ起きるかわからないので、いつでも戦争ができる状態にしてもらいたい」と命令した。
両軍は故郷に帰った。ローマ軍の先頭に、決闘の勝利者ホラティウスの姿があった。ホラティウスの前をアルバ3兄弟の遺体が戦利品として運ばれていた。を持っていた。ホラティウスの妹がカペネ門のところで兄を迎えた。彼女はアルバの3つ子の兄弟の一人と婚約していた。兄が肩にかけていたマントは彼女が婚約者のために手作りしたものだった。彼女は髪をかきむしって泣き、今は亡き婚約者の名前を言った。妹の嘆きは勝利の喜びに水を差すものだったので、兄は気分を害し、持っていた剣を妹の胸に突き刺した。
「愛する者のところへ行け。敵を愛し、死んだ兄弟や国家を忘れるなるんて! 敵の人間の死を悲しむ者はすべて滅ぶがよい」。
この行為を見た貴族と平民はおそろしさのあまり震え上がった。だがホラティウスは国家に勝利をもたらしたので、人々は彼を許したい気持ちもあった。ホラティウスは王の前に連れていかれ、裁かれた。人々が厳しい刑罰を望んでいなかったので、王は自らホラティウスを罰することを避け、民会を招集した。王は民会に向かって言った。
「私は法に従いホラティウスを裁くために2人の特別裁判官を任命した」。
この時代のローマの法律では、特別裁判官は重罪を裁くことになっており、無罪の判定はなく、刑の種類は死刑のみである。王の護衛兵が犯罪人をロープで木につるし、鞭打った。
二人の裁判官はホラティウスを有罪とし、一人が言った。
「プブリウス・ホラティウス!お前は国法を犯した」。
リクトル(護衛兵)がホラティウスの手を縛ろうとしたとき、ホラティウスは「私は上訴します」と言った。上訴が受け入れられ、ホラティウスは民会に連れていかれた。実は王がホラティウスに上訴するようひそかにアドバイスしていたのである。王はホラティウスに温情を与えるために、国法をを都合よく解釈した。
民会の決定はホラティウスの父の考えに影響された。ホラティウスの父は言った。
「娘が殺されたのは、やむをない。もし息子が犯罪者なら、私は父親の権威によって息子を処罰していただろう。生き残った、たった一人の息子を私から奪わないでほしい」。
こう言いながら、彼は息子を抱きしめた。さらに彼はアルバ人3人の遺体がつるされている絞首台を指さしながら続けた。
「祖国のために敵と戦い勝利した者があの絞首台につるされ、鞭うたれても、諸君は平気なのか。アルバの3人の戦士がふあのように無残な姿でつるされているのを見たら、アルバの人々は平気だろうか。ローマに勝利をもたらした者の手を縛ってよいだろうか。ローマの解放者に黒頭巾をかぶせ絞首刑にしてよいだろうか。輝かしい功績をあげたものに無残な最期を与えてよいだろうか」。
ホラティウスの父に同情し、またホラティウスの功績を思い出し、民会の人々はホラティウスを免罪とした。ホラティウスが重罪を犯したことは否定できない事実であり、彼は無罪ではなかった。ホラティウスの父は国家に贖罪することを命令された。
ホラティウスの父は動物のいけにえを奉納してから、道路を横切る木材を設置した。ホラティウスは黒頭巾をかぶせられ、頭をその木材の下につながれ、くびきにつながれた牛のようになった。この時の木材は現在も残っていて、「妹の柱」と呼ばれている。
ホラティウスの妹が殺された場所に、切りそろえられた石で彼女の墓がたてられた。

アルバとの平和は続かなかった。国家の運命を3人の兵士に委ねたことは誤りであるとアルバ人は考え、独裁官を憎んだ。独裁官は性格が弱かったので、動揺した。議会がはっきりと不満を表明したので、独裁官は国民の人気を取り戻そうと策略をを用いた。前回は平和的な解決をめざして失敗したので、
今度は戦争の口実を探した。国民は戦踏力以上に勇気があると判断し、彼は他国が正式に戦争を宣言するよう仕向けた。自分が戦争を始めたことを隠し、ローマが戦争を始めたように見せた。
ローマの北にフィデナエという町があり、この町の一部がローマ領となっていた。ローマははロムルス王の時代にフィデナエと戦争し勝利した。アルバ人がローマ軍を裏切る約束したので、フィデナエはローマと戦争をすることにした。フィデナエと同じ民族であるウェイイもこの計画に加わった。

フィデナエがローマに戦争を始めたので、ローマ王トゥルスは、アルバの独裁官メティウスに出兵を要請した。ローマ軍とアルバ軍はアニオ川を渡り、アニオ川がテベレ川に合流する地点に布陣した。ウェイイ軍はすでにテベレ川を越え、ローマ軍とフィデナエの中間に来ていた。間もなくフィデナエ軍がウェイイ軍に合流した。ウェイイ軍はテベレ川に近い右翼となり、フィデナエ軍はy間川の右翼となった。トゥルスはローマ軍をウェイイ軍と対峙させ、アルバ軍をフィデナエ軍と対峙させた。アルバ軍を率いる独裁者は勇気がなく、忠誠心もなかった。彼は陣形を維持することができず、自軍を引き上げる勇気もなかった。アルバ軍は徐々に山の方に押されていった。アルバの独裁者は十分退却したと考え、アルバ軍を停止させた。迷いながらも、彼は攻撃の体制を整え、勝利の側について最後の力を出そうと、時間を稼いだ。
アルバ軍が退却し、右翼ががら空きになってしまったので、アルバ軍に近い側にいたローマ兵はがく然とした。騎馬兵のひとりが全速力でローマ王の所に駆け付け、アルバ軍の戦線離脱を報告した。するとローマ王トゥルスは敵に聞こえるように大声で、騎馬兵に言った。
「驚くことはない。アルバ軍は迂回してフィデナエ軍の後ろに回り、背後からフィデナエ軍を攻撃する作戦だ。君は余計な心配をせず早く戦陣に戻れ!」
それから王は付け足した。「右翼の騎騎兵隊に槍を高く上げるよう、伝えよ」。これは、大部分のローマ兵の目から、フィデナエ軍の退却を隠すためだった。
ローマ軍の一部はフィデナエ軍の退却を知っていたが、これが作戦であると知り、さらに熱心に戦い続けた。
ロムルスの言葉を聞き、今度は敵軍が動揺した。フィデナエ人の母語はエトルリア語であるが、フィデナエにはローマの植民地があったので、フィデナエ兵の多くがラテン語を理解した。フィデナエ軍は退路を断たれ、背後から攻撃さることを恐れ、退却し始めた。ロマ王トゥルスは、浮足立ったフィデナエ軍を攻撃し、これを壊滅させると、すぐにウェイイ軍に立ち向かった。フィデナエ軍が敗れ、敵はウぇイイだけとなったので、ローマ軍は自信を持った。一方ウェイイ軍は士気を失い、退却を始めたが、すぐにテベレ川に阻まれた。彼らは武器を投げ捨て、川に飛び込んだ。戦うべきか、逃げるべきか迷っていたウェイイ兵はローマ軍によって殺された。ローマ軍はこれ以前に3回戦争をしているが、今回の戦争は最も血なまぐさかった。
アルバ軍は山の上で観戦していたが、戦闘が終わると山から下りてきた。アルバの独裁者メティウスはローマ王トゥルスに対し、勝利を祝った。トゥルスは友好的な調子で、アルバ軍がローマに来て、ローマ軍の隣に設営するよう命じた。トゥルスはローマに帰ると、栄光の犠牲祭の準備をした。
(原注;「栄光の犠牲祭」は軍隊の幸運を願い、軍神マルスにいけにえを捧げる神事。いけにえはイノシシ、羊、牛。)
翌日夜が明けると、犠牲祭の準備は整った。トゥルスはローマ軍とアルバ軍を集め、勝利の行進をさせた。最初に使者の兵が宿営地の端に行き、アルバ軍を呼び出した。アルバ兵はこうした儀式に興味を持ち、使者の周りに集まり、伝達を聞いた。それから彼らはローマ軍の隣に整列した。アルバ軍から少し離れたところに、ローマの百人隊が隠れていた。百人隊は完全に武装しており、命令を待っていた。
整列した軍隊に向かって、ローマ王トゥルスが言った。
「ローマの諸君!戦争の良い結果に対し、まず不滅の神々に感謝すべき位である。そして次に自分たちの勇気が勝利をもたらしたことを知るべきである。昨日の戦闘はそのよい例であった。明らかな敵と戦うのはもちろんだが、同盟軍の裏切りを見逃してはならない。彼らは最も危険な敵なのである。諸君に真実を明かさなければならない。私はアルバ軍にフィデナエ軍の背後に回れと命令していない。アルバ軍の退却を隠すために、私は嘘を言ったのだ。君たちがそれを知ったら、動揺し、我々は敗北しただろう。私の嘘によってフィデナエ軍はパニックになり、我々に勝利をもたらした。私はすべてのアルバ兵に責任があるとは思わない。彼らは将軍の命令に従っただけだ。アルバ軍の司令官はメティウスだ。そもそも今度の戦争を計画したのは彼だ。彼はローマとアルバの約束を破った。このような裏切り利が繰り返されないよう、私ははっきり処断したい」。
武装した百人隊がメティウスを取り囲んだ。ローマ王は話を続けた。
「ロマ人とアルバ人に幸運と幸福をもたらすために、私には重要な計画がある。すべてのアルバ人をローマに移住させることだ。アルバ人の平民はローマの市民権を獲得し、貴族は元老院の議員となる。昔アルバの国民は2つに分裂したことがある。今度はローマと一つになるのだ」。
アルバの兵士たちはトゥルスの話を注意深く聞いた。彼らは急な話なので、迷っていたが、彼らは武器を持たず、武装したローマ兵に囲まれていたので、恐怖のために黙っていた。それからトゥルスはメティウスに向かって言った。
「あなたが裏切り行為をしなかったなら、彼はあなたに私の計画を実行するよう命令しただろう。しかしもう手遅れだ。聖なる約束を破った者は処罰されることを後世に伝えなければならない。昨日あなたはフィデナエに味方するか、ローマに味方するか迷っていた。従って、今日あなたの身体は2つに裂かれなければならない」。
4頭立ての2輪戦車が2台やってきた。メティウスの手と足がそれぞれ別の戦車に縛り付けられた。2台の戦車は正反対の方向に走り出し、メティウスの身体はばらばらになり、手と足だけがそれぞれの戦車にぶら下がった。あまりにも凄惨な光景を前にして、観衆は目をおおった。このように残酷な刑罰は、その後ローマの歴史において2度となかった。後代のローマは人間性に配慮した刑罰で知られるようになった。

騎馬の使者がアルバに派遣され、ローマへ移住する命令を伝えた。続いてローマ軍がアルバへ向かった。彼らの任務はアルバの町を破壊することだった。ローマ軍がアルバの門から市内に入ると、人々の騒ぐ様子がなく、静かった。通常の場合、占領が始まると、市民はパニック状態になり、大騒ぎになる。敵軍によって城門破られ、あるいは攻城用の丸太で城壁が破壊され、砦(とりで)が襲撃されると、敵軍が叫びながら場内を走り回り、建物に火がつけられ、人々が切りつけられる。
アルバでは市民の抵抗がなく、静かであり、憂鬱な沈黙と悲しみがすべての市民を凍りつかせていた。彼らは恐怖のあまり、何もって行き、何を残してゆくべきかを考えることを忘れていた。彼らは自分で考えることも、誰かに相談することできず、家の敷居に立ち尽くしたり、家の中を意味もなく歩き回った。彼らが自分の家を見るのも最後となった。ローマから来た使者が「すぐに出発しろ」と叫ぶと、アルバの市民は我に返った。町のはずれで、解体された家が崩れる音がして、あちこちでほこりが舞い上がった。すぐにほこりが町を覆った。運べるだけの物を持って、アルバの人々は急いで町を去った。 彼らは自分が生まれた家、そしてかまどと家の神を捨てた。間もなくアルバから去ろうとする人の列が長く続いた。知り合いと出会うと、自分たちのみじめな境遇に対する悲しみがこみ上げ、涙が止まらなかった。神殿のそばを通ったとき、神聖な神殿がローマ兵に占領されているの見た時、女性たちは声をあげて泣いた。神々が敵の虜の捕虜になっているのが耐えられなかったのである。アルバの人々が街を去ると、ローマ兵は町を廃墟にした。

アルバの滅亡によって、ローマはさらに成長した。人口が2倍になり、さらに人口が増えることを期待して、カエリア(Caelia)の丘を市内とした。

新しい居住地の成立を記念して、国王トゥルスは神殿を建てることにした。また彼はアルバ人の貴族から元老院議員を選び、元老院の人数を増やした。新しく元老となったのはトゥルリ家、セルヴぃり家、キネティ家、ゲナニ家、クリアティ家、クロエリ家の人々である。彼はこれを機会に、元老院の議場として、神聖な建物を建てた。この建物はクリア・ホスティリア(Curia Hostilia )と呼ばれた。
国王トゥルスは新しくローマの国民となった国民の全階層に兵役を義務づけ、ローマ軍の人数を増やした。アルバ人貴族から成る10個の騎兵部隊を増設し、アルバ人の平民を歩兵軍団に組み入れた。軍隊が大幅に増強されると、トゥルスはますます好戦的になり、サビーネ人に宣戦布告した。サビーネ人はローマの近辺で有力な勢力であり、彼らの人口と軍事力を超えるのはエトルリア人だけだった。
ローマとサビーネ人は互いに紛争を繰りかえしていたが、どちらの側もこれを解決しようとしなかった。例えば、カペナの町のフェロニア(Feronia)神殿で開かれる市場で、サビーネ人がローマ人を逮捕した。これはローマは自国民を拉致されたのであり、これは戦争の理由として十分だった。
一方サビーネ人の集団がローマに避難したが、ローマは彼らを本国に送還せず、避難場に留め置いている。またサビーネ人は半世紀以上前に国民の一部がローマに移住させられたことを忘れなかった。ローマに近いサビーネの町クレス(Cures)の支配者タティウスが住民を連れてローマに移住した。これはローマが強制したのではなかく、タティウスが軽率にローマの誘いに乗ったのである。タティウスの行為はサビーネの国力を奪った。ローマ最は最近アルバの住民を吸収し、国力をさらにタ強化した。サビーネ人は脅威を感じ、同盟者を探し始めた。最も近い隣人はエトルリアだった。エトルリアの都市で最も近いのはウェイイである。ウェイイはつい最近ローマに負け、復讐の念がくすぶっていた。サビーネ人はウェイイに働きかけ、多くの志願兵を集めた。また貧しい者やホームレスが給金欲しさに集まった。ウェイイはローマとの平和条約に縛られていたので、国家としてサビーネ人を援助することができなかった。
ローマとサビーネ人は全力で戦争の準備を始めた。先制攻撃が有利だったからである。ローマが最初にサビーネの領土に侵入し、戦争を始めた。シルヴァ・マリティオサ(場所を確認できる地図なし)の付近で激しい戦闘になった。ローマ軍はもともと歩兵が強かったが、最近アルバ人の騎兵部隊が加わり、補強された。最初にアルバ騎兵がサビーネ軍を攻撃すると、サビーネ軍は混乱してしまい、防御態勢がとれず、多数の犠牲者を出しながら退却した。
サビーネ人に対する勝利により、トゥルスの治世は輝かしいものになった。ローマの威信は高まり、ローマは強国と認めれるようになった。この頃アルバ山に石が降っているという報告が国王トゥルスと元老院にもたらされた。空から石が降るなど、あり得ない話だったので、調査隊が送られた。彼らがアルバ山に着くと、ひょうが地面にたたきつけられるように、石が降っていた。その時山の頂上の森から大声が聞こえた。その声はアルバ人に「祖先の聖なる儀式を続けよ」と命令していた。アルバ人はローマに移住し、祖先が伝えてきた聖なる儀式を捨ててしまった。彼らは自分たちに不幸をもたらした神々を捨て、ローマの神々の儀式を採用した。
この不吉な事件の後、ローマは公式の宗教儀式を9日間続けた。アルバ山の頂上から聞こえた声を恐れたからか、預言者の警告があったのか、どちらかだろう。これ以後天変地異が起きた場合、9日間の謹慎を守ることが慣例となった。
アルバ山で異変があってからほどなくして、疫病がローマを襲い、ローマ市民は戦争を考える余裕がなくなった。ところが国王は戦争を始めようとした。市内にいるより、外地で戦争している方が、疫病にかからない、と国王は考えた。ところが彼自身が疫病(ペスト)に感染し、なかなか治らなかった。肉体が弱まると、猛烈で活発だった彼の精神は失われた。信仰心は国王にふさわしくないと考えていたのに、彼は急に神を恐れるようになり、市民に宗教の儀式を命令した。市民の多くが前の国王の平和な時代を思い出した。疫病から逃れる唯一の救いは天との和解により神々の許しを得ること
によってもたらされる、と人々は考えた。
言い伝えによれば、トゥルスは前王ヌマの祈祷書を調べ、雷神ユピテルへ秘密のいけにえを捧げるべきであると知った。彼は一人で家に閉じこもり、儀式に専念した。しかし彼のやり方には、誤りや抜け落ちた点があった。彼を救う兆候が表れなかっただけでなく、誤った儀式によりユピテルの怒りを招いてしまった。ユピテル神は稲妻で彼と彼の家を焼いてしまった。
トゥルスは戦争において偉大だった。彼の治世は32年間だった。
================(リヴィウス終了)

 


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